こんな日々だと白虎隊(というかスーちゃんとか)
2011年7月4日 日常つい夢想に走ってしまいます。
NHKの大河ドラマ、来年は山本八重子(新島八重)だそうで、
「そういえば86年の日テレお正月(年末?)時代劇では
山本八重子をやったのキャンディーズのスーちゃんだったなあ」
と思いだし、「白虎隊」のDVDを見直したり。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%99%8E%E9%9A%8A_(1986%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
いや、「山本八重子」というと、スーちゃんを思い出す人が多いらしく、ググってすぐにこんな感じ。
http://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/2e0debc4c059740e775333bb3ac60277
http://rumitetra.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-e57a.html
そうかー比べられるのか。
あの作品を忘れてないひと、多いんだ。。。
----------------------
で。
あの日テレ白虎隊、あらためてあちこち史談会のサイトなどみてみると、現実よりもかなりかなり、ソフトに加工してあったんですね。
主人公の森重久弥、じゃない井上丘隅は、ドラマだと斗波藩(青森)まで移住することになってましたが、ほんとは娘のちか子らとともに、敵に囲まれ孤立した自宅で自刃しています。
そういえばちか子さんは、次のドラマでは函館まで行く設定になってましたっけ。
彼のもうひとりの娘、雪子は、ドラマ通り敵軍にとらえられた後、自刃していますが、ドラマだと首の当たりにちょっと血がついてる程度。
ほんとうは血の海の中でのたうち死んでいったようで(介錯がなかったので)、その酸鼻さに、敵藩の兵士は近づくことも怖れたそうな。
また、女子供が総出で自刃した武家は、家老の西郷氏の家だけではなかったようで、いくつもあったそうです。
足手まといにならないように。
家老二人(神保蔵之介と田中土佐)は、ドラマでは丹波哲郎の神保が「お先に」とかなんとかいって切腹しますが、これは史実では、「刺し違えて」死んだようです。これも酸鼻。
なぜにそこまでというほど、酸鼻。
会津は今回の原発事故では、せいぜいこの辺程度の線量ですんでいるようですが、
それにしても、なんで福島県ばかり、凄惨な目に遭いますかねえ。。。
まあ当時は浜通りと会津は全く別の藩ですが。
----------------------------
で。
どうせ大河で会津の女性をやるなら、きちんと会津を描いて欲しい、と思うのは私だけではない様子で、
http://ameblo.jp/zeppeki-man/entry-10920943373.html
同感です。
------------------------------
連想はつぎつぎ移って。。
やはり日テレ「白虎隊」というと、文天祥の詩を思い出します。
汗青をてらさん、というアレね。
文天祥はこの人。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%A5%A5
前にも書いてしつこいのですが、ドラマで白虎隊士が謡った
「零丁洋を過ぐ」はこれ。
http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_B12_1.html
宋という国は面白いなあと思います。
亡宋の三傑といわれる、忠烈無比な忠臣が続出しました。
なにゆえにかくにここまで、と思うのですが(だって、たいていあの国の王朝が滅びるときは、ほんとに「天命」を失ったと思えるような四面楚歌ぶりです)
ひとつの秘密は、この国の歴代皇帝が、始祖の家訓として守った教えにあるのでしょう。
ひとつは帝位をゆずった前王室に対し、末代まで客分としての礼遇を施せ、というもの。
もうひとつは、こちらが決定的だと思うのですが、士大夫をその言論ゆえに殺してはならない、というもの。
官僚・臣下たちを、その言論が気に入らないことを理由に殺してはならない。
そのおかげで、それ以前の時代にはない、「党を組んで多数派を形成し実権を握る」という政治の形が、この宋ではじめでできたのだと思います。
宋代になって、はじめて、国の政治の話を聞いても、なんとなく現代と地平が重ねられます。
何を主張しても、左遷や冷遇、罷免はあっても、殺されることはないのです。
これはそれまで以前に比べ、臣下達はずいぶんとのびやかな心で政界にいることができたでしょう。
自分に正直になることもできたでしょう。
じっさい、この詩の作者、文天祥は、時の実権を握る大臣を正面から批判したせいで、長らくひやめしを食います。
国家一種、行政職(今はあるのかしらんが)のトップ合格だったのに。
彼が表舞台に出るのは、宋がいよいよ滅びるかという時。
キャリアのうち、ほとんどの期間で陽の目をみれなかったのに、最後まで宋以外の粟を食まずとばかりに、元の仕官の誘いを断り続けました。
不思議だなあと思うのです。
21世紀のどこにも、そんな話はころがっていないでしょう。
そして、聞いていて気持ちいい話だなあと思います。
今原発がらみで聞く話が、どれもこれも、自己保身と自己の利益の確保の動機からでる話ばかりなのでよけいに。
いまこの国も、言論の自由は、表向き認められています。
冷や飯を食うのを覚悟なら、ナンダって言える。
それでも、こんな忠誠心というか、愛国心は聞かないです。
政治家達の中に。
だからなんだ、というわけではないのですが、ついつい、自分の魂を、こういう人がいた時代に、とばしてしばしの慰謝を試みてしまうのです。
NHKの大河ドラマ、来年は山本八重子(新島八重)だそうで、
「そういえば86年の日テレお正月(年末?)時代劇では
山本八重子をやったのキャンディーズのスーちゃんだったなあ」
と思いだし、「白虎隊」のDVDを見直したり。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%99%8E%E9%9A%8A_(1986%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
いや、「山本八重子」というと、スーちゃんを思い出す人が多いらしく、ググってすぐにこんな感じ。
http://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/2e0debc4c059740e775333bb3ac60277
http://rumitetra.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-e57a.html
そうかー比べられるのか。
あの作品を忘れてないひと、多いんだ。。。
----------------------
で。
あの日テレ白虎隊、あらためてあちこち史談会のサイトなどみてみると、現実よりもかなりかなり、ソフトに加工してあったんですね。
主人公の森重久弥、じゃない井上丘隅は、ドラマだと斗波藩(青森)まで移住することになってましたが、ほんとは娘のちか子らとともに、敵に囲まれ孤立した自宅で自刃しています。
そういえばちか子さんは、次のドラマでは函館まで行く設定になってましたっけ。
彼のもうひとりの娘、雪子は、ドラマ通り敵軍にとらえられた後、自刃していますが、ドラマだと首の当たりにちょっと血がついてる程度。
ほんとうは血の海の中でのたうち死んでいったようで(介錯がなかったので)、その酸鼻さに、敵藩の兵士は近づくことも怖れたそうな。
また、女子供が総出で自刃した武家は、家老の西郷氏の家だけではなかったようで、いくつもあったそうです。
足手まといにならないように。
家老二人(神保蔵之介と田中土佐)は、ドラマでは丹波哲郎の神保が「お先に」とかなんとかいって切腹しますが、これは史実では、「刺し違えて」死んだようです。これも酸鼻。
なぜにそこまでというほど、酸鼻。
会津は今回の原発事故では、せいぜいこの辺程度の線量ですんでいるようですが、
それにしても、なんで福島県ばかり、凄惨な目に遭いますかねえ。。。
まあ当時は浜通りと会津は全く別の藩ですが。
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で。
どうせ大河で会津の女性をやるなら、きちんと会津を描いて欲しい、と思うのは私だけではない様子で、
http://ameblo.jp/zeppeki-man/entry-10920943373.html
同感です。
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連想はつぎつぎ移って。。
やはり日テレ「白虎隊」というと、文天祥の詩を思い出します。
汗青をてらさん、というアレね。
文天祥はこの人。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%A5%A5
前にも書いてしつこいのですが、ドラマで白虎隊士が謡った
「零丁洋を過ぐ」はこれ。
http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_B12_1.html
宋という国は面白いなあと思います。
亡宋の三傑といわれる、忠烈無比な忠臣が続出しました。
なにゆえにかくにここまで、と思うのですが(だって、たいていあの国の王朝が滅びるときは、ほんとに「天命」を失ったと思えるような四面楚歌ぶりです)
ひとつの秘密は、この国の歴代皇帝が、始祖の家訓として守った教えにあるのでしょう。
ひとつは帝位をゆずった前王室に対し、末代まで客分としての礼遇を施せ、というもの。
もうひとつは、こちらが決定的だと思うのですが、士大夫をその言論ゆえに殺してはならない、というもの。
官僚・臣下たちを、その言論が気に入らないことを理由に殺してはならない。
そのおかげで、それ以前の時代にはない、「党を組んで多数派を形成し実権を握る」という政治の形が、この宋ではじめでできたのだと思います。
宋代になって、はじめて、国の政治の話を聞いても、なんとなく現代と地平が重ねられます。
何を主張しても、左遷や冷遇、罷免はあっても、殺されることはないのです。
これはそれまで以前に比べ、臣下達はずいぶんとのびやかな心で政界にいることができたでしょう。
自分に正直になることもできたでしょう。
じっさい、この詩の作者、文天祥は、時の実権を握る大臣を正面から批判したせいで、長らくひやめしを食います。
国家一種、行政職(今はあるのかしらんが)のトップ合格だったのに。
彼が表舞台に出るのは、宋がいよいよ滅びるかという時。
キャリアのうち、ほとんどの期間で陽の目をみれなかったのに、最後まで宋以外の粟を食まずとばかりに、元の仕官の誘いを断り続けました。
不思議だなあと思うのです。
21世紀のどこにも、そんな話はころがっていないでしょう。
そして、聞いていて気持ちいい話だなあと思います。
今原発がらみで聞く話が、どれもこれも、自己保身と自己の利益の確保の動機からでる話ばかりなのでよけいに。
いまこの国も、言論の自由は、表向き認められています。
冷や飯を食うのを覚悟なら、ナンダって言える。
それでも、こんな忠誠心というか、愛国心は聞かないです。
政治家達の中に。
だからなんだ、というわけではないのですが、ついつい、自分の魂を、こういう人がいた時代に、とばしてしばしの慰謝を試みてしまうのです。
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