1審でときどき危険性を認めてくれる以外は、

たいてい安全なので動かして良い、という判決がずーーーーっと続いてきたわけですが。

まあ、結局その「安全なので」の判断は、間違いだったというのを裁判官のせんせい方はしっかり認識していただきたいですね。

そして、「司法の謙抑」だけでない、「司法の独立」ってなんだろう。。

と、休みの日のコーヒー片手に、もういちど、考えて欲しいです。

コメント

シゲ
2011年6月3日21:38

えー。前々から、ちょっとどん太さんとは原発に関してお話したいな、というのがありまして。
それは「安全」に関する論議なんですよ。

僕は基本、「反原発」の人であり、「脱原発を積極推進すべし」派なんですけど、ところがどっこい、同時に、「原発はテクニカルな意味では安全だ」派でもあるんです。
年間100mシーベルト以下なら子どもも安全、とする派なんです。
再臨界に関しても「再臨界しても爆発はしないし、ちょっと離れてれば大丈夫」派なんです。

でも、じゃあ、だからと言って「原発推進せよ」と言うかというと、それは全然違ってて、

●テクニカルには安全だけど、現実的には日本で原発はリスクが高すぎるからダメ。

というスタンスなんですね。

●安全だけど、役立たずである。

というスタンスです。
日本は地震が多い。だから、中国やらソ連やらアメリカやら、大陸で原発をやるのは好きにしてくれって事です。世界中にセシウムがまき散らかされる危険はあるけど、それはやっぱりそれほど大きな危険ではないと僕は思う。だから、よその国の事はどうでもいいと。

で、もうひとつ言うなら、日本は山が迫っていて平野の少ない国ですから、やっぱり「事故の時逃げるしかない原発」なんて、箸にも棒にも引っかからない、ダメダメ選択枝だから「こんなものやめろ」なわけです。

しかも、使用済み燃料の処理場だって、作る場所がないわけですし。もともと日本という土地柄に向いてない。

で、もっと言うなら、鉄腕アトムは超小型原子炉で動いてましたが、原子炉が小型化されてクルマの燃料になるか?といえば、そんなもの、事故のたびに都市が何万年も近づけなくなったら話にならんわけで、原発以外の使い途がない。発展・展開の可能性がものすごく少ない技術なわけですよ。

だから、ようは技術としてダメダメだと。
そういうことなんですね。

で、ここで言いたいのは、裁判においても、もう、そういう点で判決を出しても良い段階になった、ということなんです。

すでに「事故は起きた」わけですから、製造物責任とか、そっちのアプローチで考えないと、現実と齟齬が出るのははっきりしてるって事ですわね。
法的に、今回の事故を「社会常識の変容」として、正しく取り込まないとアカンよなぁっていう風に思うってことです。
それこそが、司法の独立というか、司法が考えるべきことなんじゃないですかね。

で、そこには、「技術としての実用性が現実的に社会の要請に見合っているかどうか」という判断がなけりゃいかんよなぁ、ってことです。
果たして、そこまで司法が「自分たちのやるべきこと」として今後踏み込んでくれるかどうか、って事でしょうけど。

なので、社会的要請の面から見れば、従来の「安全である」という判定とは矛盾しないと思うんですよね。そういう風な法律解釈で原発の不要性を捉えてくれたらなぁと僕は思っております。

●現実的に、日本に原発は向いてないよ。

というクールな判断ですね。
これをやって欲しいと思うんです。
僕は。

どん太
2011年6月6日13:09

シゲさん

概ねいいと思うのですが、これは今を生きる者として困りますね。

>年間100mシーベルト以下なら子どもも安全、とする派なんです。

これは2003年以前の考え方です。
いまは学問的には低線量被曝による発症はあると認められていますが、政府など、賠償責任を負う立場の人たちが、執拗に認めるのを拒んでいる段階です。

>法的に、今回の事故を「社会常識の変容」として、正しく取り込まないとアカンよなぁっていう風に思うってことです。

ここは、おっしゃるとおりですね。
できれば、民事も陪審制にしてみたらいいんだと思うんですけどね。

シゲ
2011年7月3日12:31

>学問的には低線量被曝による発症はあると認められています

の件、初耳でした。
もしよろしかったら、ソースなどお教えいただけますでしょうか。

ただ、それでも「反原発」とか「脱原発」という事に関しては、僕はどちらかというと「怖いからやめろ」という事をアピールすることより「事故が起きたときに地域を捨てるしかない発電は、地震が多く平野部が少ない日本にはあまりに不向き」という、ごくごく当たり前の事実を、もっと強くアピールすることの方が大切であるように思います。
また、従来は核エネルギーサイクルによって、「ほぼ無限」のエネルギーだと思われていたわけですし、日本はいまだに「核エネルギーサイクル」を正式には捨てていないわけですが、まず、これが、あの原発大国のフランスでもあきらめているのだ、という事を勘案して、正式に「核エネルギーサイクルからの撤退」を国策として認めないといけないと思うのですよ。
やっぱり、法的な手順その他を考えていっても、どうしたって「核エネルギーサイクルからの撤退」がない限り、さまざまな施策・法的判断等がゆがんでしまうと思います。

そう考えると、あの河野太郎が「私は反原発なのではありません。反核エネルギーサイクル論者なのです。」と主張する正しさが、しみじみとわかってきます。あの考え方は正しいよなぁと思うし、国を動かすためには、とにかくまずどこかで「核エネルギーサイクルからの撤退」をしないと、話がまとまらないと思います。

もちろん核エネルギーサイクルから撤退しても「化石燃料と同じように、有用なエネルギー供給源として活用する」という意見は残るのでしょうけれども、それでも「核エネルギーサイクルは追いかけない」と決まれば、論議の仕方もまったく変わってくると思うんですよ。(特にこういう法的判断においては重要だと思います。)

どん太
2011年7月3日17:20

ソースというか、見やすいモノを貼ろうとしたらURL禁止だそうで、別立ての日記にいたしました。

低線量被曝について影響がないとしてきたのは2003年までの通説ですが、それ以降は、低線量にあっても、なんらかの健康被害があるというのが学界の通説可してきているといっていいと思います。
ただし、政府や国際機関の公式見解は、閾値を認める(一定線量以下の被曝では影響がない)もののままです。

これは、その方が産業振興に都合がいいというのがなによりの理由でしょう。
この辺は、電磁波被曝と全く同じです。
日本の電波防護基準は、「熱効果」(つまり電子レンジと同じ、熱による細胞損傷が起こるレベル)が起こるレベル以下の電磁波について、健康影響を認めないモノですが、私も実体験している電磁波過敏症状は、明らかに防護基準よりも数桁低いレベルで起こっています。

まあ、電磁波(非電離放射線)にせよ、放射線(電離放射線)にせよ、病理学的な機序としては、細胞組織、とくにDNAの損傷がその効果です。
としたら、ある線量以下だからと言って影響が「全くない」と考えるのは、政治的ではあっても、けして科学的ではない考え方というのは、納得がいくでしょう。

要は、ICRPなどがさだめる線量は、人間の免疫力、抵抗力の差異を問題とするまでもなく、すべからく全ての人に健康影響が出るほどの強い線量ということで、
それ以下の線量においては、環境要因、その人の免疫力の大小などによって、結果がかく乱される。
そのせいで、「影響がはっきり見えない」→「影響はない」にされてしまうレベル、ということだと思います。

こんな感じでいいでしょうか?

他の部分は、私も同意です。
「○○でなく」ではなく「○○にくわえて」の文脈で有ればですが。

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