陳舜臣の十八史略ではっとしたのは、彼のつくった詩の一節が、
私の知っていたことばの通りだったのです。

「人生古自り 誰か死無からん
丹心を留取して 汗青を照らさん」

じんせいいにしえより、だれかし、なからん
たんしんをりゅうしゅして、かんせいをてらさん

http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_B12_1.html

このうたは、元にとらえられた後、最後の抗戦をしている宋軍に、
降伏を勧める文書を書け、と元に強制されて書いた物だそうです。

>その後は死ぬまで獄中にあり、厓山に追い詰められた宋の残党軍への降伏文書を書くことを求められるが『過零丁洋』の詩を送って断った。

内容は降伏勧奨どころか、「死んでも我々の忠誠心をこの世にとどめて、歴史を照らす光にしよう」
という意味です。
元軍にこれを手渡す。。。すごいもんです。

この「たんしんをりゅうしゅして、かんせいをてらさん」という言葉は、
もう25年も前にTVで聞いて、耳にこびりついていたものでした。

日本TVの年末時代劇、「白虎隊」です。
http://amanatsusuppa.jugem.jp/?eid=262

このTVドラマで、会津の白虎隊士の少年が、炎上する城を遠望しつつ、自決前に歌った詩でした。

少年は「かんせいを~てらさん~~」とやっていたので、何がなんだか、意味さっぱり。

誰のなんという詩か、どころか、言葉の意味すらわからん、漢詩であることもわからん。。。。

それが、宋国が滅ぶとき、ゲリラ戦で元に徹底抗戦した忠臣の歌であり、薩長軍に徹底抗戦して会津藩が滅びんというときに、藩士の少年がその忠臣の人生に自分を重ね、自決前に歌った物だったのだと。

やっと、整合性が取れました。

詩の内容は、こうです。

「苦労して聖人の書いた書物を読み、進士に及第して仕官し身をおこしたのであるが、国難にあって戦争に従って4年の歳月を送った。
 山河はつぶされて風に従う柳の花が漂うように、自分の身も世の中を漂うて、まるで雨にうたれる浮き草のようである。
 皇恐灘のあたりでは、国家滅亡の恐れを説き、零丁洋を渡っては、身の零丁を嘆くばかりである。
 人生は昔から死なない者はないのであって、どうせ死ぬならば赤心(まごころ)を留めて歴史の上を照らしたいものである。」

この、最後の部分でした。


ちなみにこの文天祥の詩は、幕末には志士たちの間で流行っていたそうで、ドラマはずいぶん会津の古老や史談会の記録などにも取材したそうですから、考証がほんとにしっかりしていたんですね。


コメント

yasai
2010年7月16日10:58

E-クラスは第二外国語が中国語でした。中国語の経済は15人でした。4年後の安田講堂の年に卒業したのは2名でした。その内の1名が僕です40数年前の話です。僕も漢文から中国語に入りました。良い文章を読ませて頂きました。今まで知らなかった。ありがとう。

どん太
2010年7月16日15:26

yasaiさま

経済進学だったのですね。そして中国語選択。

>漢文から中国語に入りました
おお、それは素敵です。
私も高校の頃から漢文はすきでしたが、漢文では白話体は全く読めないのだなあと悟って、ドイツ語を選んでしまいました。
なにか積極的な理由があったわけじゃなかったけれど。

>良い文章を読ませて頂きました。今まで知らなかった。ありがとう。

yasaiさんにそういっていただけるのはとてもうれしいです。
こちらこそ、ありがとうございます。

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索