いまやっと

2010年6月27日 日常
北宋のあたりです。

ふと思うと、唐末くらいからかな?
読んでいて日本と中国との文明差というのを、感じません。

白村江の戦いのときは、両者の武器(というか艦船)には雲泥の差があって、原爆のアメリカに対し竹槍の日本が戦いを挑むかのようなイメージがあるのですが、その後の300年で軽くキャッチアップしたんですね。
その300年の、どの辺でなのかは知りませんが。。

幕末・明治期、白村江とおなじように、欧州の武力と自国の武力の差には、日本は愕然としたのでしょう。
そのときのキャッチアップは、もっと早かった。あたりまえか。

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陳舜臣、司馬遼太郎にくらべ、ずっと面白いです。
項羽と劉邦、はげしく駄文。
「燃えよ剣」は面白かった記憶があるので、
司馬遼自体がつまらない、というわけではないのでしょうけれど。

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趙匡胤(宋の始祖)を陳舜臣はほめてます。

遺訓に、

「士大夫を言論を理由に殺してはならない」

というのを残したのだそうな。
そのせいで、宋では臣下が舌禍で殺されるというのがなかったと。

この時代になって、やっとなんですね。

献策の臣が、自己の生命をかけずに献策が可能になるのが。

漫画の話で恐縮ですが、本宮ひろ志の「赤龍王」の最初のシーンは、秦の始皇帝が、臣下の正直な告白を聞いて(陛下がおそろしい)、「煮殺せい」というものです。
けっこうなインパクトです。

伝統的に、言論の廉で殺される者は、煮殺されるのが通例だったそうな。

そういう中では、革命的な遺訓、なのでしょうね。





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