学生時代、まともな食事、しませんでした。
たいていは生協食堂のごはん。
下宿は台所が共用だったので、ほとんど使わず。
男性の居住者もいたので、下宿内をうろうろしてるといろいろ危険なので。。
(いちど台所を使っていたときにかちあった男性居住者(たぶん西アジア人)に、部屋のドアに手紙つきの薔薇の花束をおかれて、心底怖かった覚えが)
そういえば、学校すぐのアパートだったのに、学生は私一人だったかも。。
あとはホステス、職業不明の東南アジア人、西アジア人とか。。
階下の大家さん宅からは、毎日「なんみょーほーれんげーきょー」が聞こえてくる。。。
閑話休題。
まあ生協食堂の食事が悪いとは言わないけれど、野菜系はほんとにとれない。
しかもファストフードコーナーでバイトだったので、それ系のものたくさん食べたし。
もっとひどいと、インスタントラーメンの類で済ませました。
それ以後も、きちんとした食生活の癖は、つかずじまいでした。
ひどい食生活が、いまの不健康を招く遠因になっていたことでしょう。
-------------------------------
あの頃、もらっていたのは月3万円だけ。
下宿自体が「わがまま」扱いだったので(鎌倉からコマバまで、通おうと思えば通える)、お金の請求はものすごく譲歩しました。
でもいまかんがえると、定期代と私の平日の食事代だけでも、3万円以上かかってたんじゃないか?
もっと要求して良かったはずなのに。。。
でも、親にはすごい遠慮があったんですね、そのころ。
なんでかなあ。
大学だって親の望みの場所に入ったわけだし、そこに通うのに
「通学すると疲れて勉強できないから下宿させて」といえばいいものを。
他の人に聞いても、そんな治安の悪いアパートに娘を住まわせる親はいなくて、女子学生会館とか、鉄筋コンクリートのマンションとか、そういうのに入れてるのに。。。
白金に女子寮はあったけど、父の課税収入が基準を超えていたので入れなかった。
入っていたのは、農業やってる親とか、自営業でいくらでも所得のごまかしが利くとか、そういう人たちばっかり。。。
基準額は超えてるけれど、マンションに子供を入居させる金は、なかった。
福祉のお世話になれない。でも金はない。という、どうしようもない階層にいました。
私はバイトで生活費をかせぐのだけにあけくれて、勉強などしませんでした。
そして、まともな食事をしようと言う頭はなく、「安い食事」こそが、めざすものでした。
-------------------------------
あのころから、大人に対して「ネゴシアブルだ」という安心感は、なかった。
「これじゃ暮らせないから5万円に上げて」なんて交渉が、できるものだという頭が、はなからなかった。
いったん与えられた苦痛は、そのまま与え続けられるのだ、と考えていました。
こちらがつらいと表明すると、相手(親)は、私の苦痛を取り除くためになんらかの措置を執ってくれる、とは、全く考えなかった。
まったく、そんな発想が、あたまのすみにも上ってこなかった。
これって、なんなんでしょうね。
育つ過程で、親が「ネゴシアブル(再交渉可能)」な態度を示さなかった、というのは大きいのだろうけど、具体的なエピソードを何か覚えているわけでもありません。
いま「これはそうかな」と思えるのは、やはり「この志望校は私には無理だから、もっと楽なところに変えさせて」
といえなかった、ことかな。。。。
数学ができないのに、入試に数学のある大学を目指すことを求められた。。
慶応とか、早稲田だったら、問題なかった。
数学がなかったんだもん。
ちょちょいのぱで入れる。
でも、家に金がないとずっと聞かされていたので、「私立に行かせて」とは、いえなかった。
私は数学で点が全く取れないので、国立にはいるには、それをおぎなってあまりある点を、他の教科で取らなければならなかった。
それがウルトラCだろうがなんだろうが、しないとあの家での存在を許されなかった。
やはりそのへんが、「人生はネゴシアブルでない」「課題はどんなに苦しくても、変わらない」
と思いこむ遠因なのではと思います。
----------------------------------
今回の問題も、「ネゴシアブルではない」との頭があるので、ものすごいストレスがかかっています。
これが発覚して以来、胃痛がすごい。
ハナの病気でも起こらなかったすごい胃痛です。
(ハナの病気で起こらなかった理由は、それとなくわかっていますが)
より豊かな社会性というのは、「周囲から円満に自己の欲するものを手に入れることができる」能力でもある、と何かに書いてましたが。。。
わたしには、それがなかった。
欲しい物があったら、戦って相手を殲滅しないと、手に入らないかのように、ずっと思っていたのです。
消耗する人生ですよね。。
たいていは生協食堂のごはん。
下宿は台所が共用だったので、ほとんど使わず。
男性の居住者もいたので、下宿内をうろうろしてるといろいろ危険なので。。
(いちど台所を使っていたときにかちあった男性居住者(たぶん西アジア人)に、部屋のドアに手紙つきの薔薇の花束をおかれて、心底怖かった覚えが)
そういえば、学校すぐのアパートだったのに、学生は私一人だったかも。。
あとはホステス、職業不明の東南アジア人、西アジア人とか。。
階下の大家さん宅からは、毎日「なんみょーほーれんげーきょー」が聞こえてくる。。。
閑話休題。
まあ生協食堂の食事が悪いとは言わないけれど、野菜系はほんとにとれない。
しかもファストフードコーナーでバイトだったので、それ系のものたくさん食べたし。
もっとひどいと、インスタントラーメンの類で済ませました。
それ以後も、きちんとした食生活の癖は、つかずじまいでした。
ひどい食生活が、いまの不健康を招く遠因になっていたことでしょう。
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あの頃、もらっていたのは月3万円だけ。
下宿自体が「わがまま」扱いだったので(鎌倉からコマバまで、通おうと思えば通える)、お金の請求はものすごく譲歩しました。
でもいまかんがえると、定期代と私の平日の食事代だけでも、3万円以上かかってたんじゃないか?
もっと要求して良かったはずなのに。。。
でも、親にはすごい遠慮があったんですね、そのころ。
なんでかなあ。
大学だって親の望みの場所に入ったわけだし、そこに通うのに
「通学すると疲れて勉強できないから下宿させて」といえばいいものを。
他の人に聞いても、そんな治安の悪いアパートに娘を住まわせる親はいなくて、女子学生会館とか、鉄筋コンクリートのマンションとか、そういうのに入れてるのに。。。
白金に女子寮はあったけど、父の課税収入が基準を超えていたので入れなかった。
入っていたのは、農業やってる親とか、自営業でいくらでも所得のごまかしが利くとか、そういう人たちばっかり。。。
基準額は超えてるけれど、マンションに子供を入居させる金は、なかった。
福祉のお世話になれない。でも金はない。という、どうしようもない階層にいました。
私はバイトで生活費をかせぐのだけにあけくれて、勉強などしませんでした。
そして、まともな食事をしようと言う頭はなく、「安い食事」こそが、めざすものでした。
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あのころから、大人に対して「ネゴシアブルだ」という安心感は、なかった。
「これじゃ暮らせないから5万円に上げて」なんて交渉が、できるものだという頭が、はなからなかった。
いったん与えられた苦痛は、そのまま与え続けられるのだ、と考えていました。
こちらがつらいと表明すると、相手(親)は、私の苦痛を取り除くためになんらかの措置を執ってくれる、とは、全く考えなかった。
まったく、そんな発想が、あたまのすみにも上ってこなかった。
これって、なんなんでしょうね。
育つ過程で、親が「ネゴシアブル(再交渉可能)」な態度を示さなかった、というのは大きいのだろうけど、具体的なエピソードを何か覚えているわけでもありません。
いま「これはそうかな」と思えるのは、やはり「この志望校は私には無理だから、もっと楽なところに変えさせて」
といえなかった、ことかな。。。。
数学ができないのに、入試に数学のある大学を目指すことを求められた。。
慶応とか、早稲田だったら、問題なかった。
数学がなかったんだもん。
ちょちょいのぱで入れる。
でも、家に金がないとずっと聞かされていたので、「私立に行かせて」とは、いえなかった。
私は数学で点が全く取れないので、国立にはいるには、それをおぎなってあまりある点を、他の教科で取らなければならなかった。
それがウルトラCだろうがなんだろうが、しないとあの家での存在を許されなかった。
やはりそのへんが、「人生はネゴシアブルでない」「課題はどんなに苦しくても、変わらない」
と思いこむ遠因なのではと思います。
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今回の問題も、「ネゴシアブルではない」との頭があるので、ものすごいストレスがかかっています。
これが発覚して以来、胃痛がすごい。
ハナの病気でも起こらなかったすごい胃痛です。
(ハナの病気で起こらなかった理由は、それとなくわかっていますが)
より豊かな社会性というのは、「周囲から円満に自己の欲するものを手に入れることができる」能力でもある、と何かに書いてましたが。。。
わたしには、それがなかった。
欲しい物があったら、戦って相手を殲滅しないと、手に入らないかのように、ずっと思っていたのです。
消耗する人生ですよね。。
コメント
しかもそんな凄いことやっても分かって貰えないって……
あまり深く考えずにそのままでいいんじゃないでしょうか?
自分の中で何かヘンなスイッチが入らないようにすれば良いのではないかと。
成行きに任せれば、消耗しないで済むので。
後は、なるようになると思います。
ありがとうございます。
そうですね、私は考え込むのが悪い癖なので、なるべく、成り行きに任せるようにしたいと思います。
なるようになりますよね。
ならなくても、きっとなんとかなるんだし♪