「君だって、やればできるんだ!」
とか
「一度始めたら、途中でギブアップしては行けない」
とか、
子どもをむしばむ言葉だと思わないのでしょうかね。

「やればできる」けれど、「できる」に到達するために、人の3倍かかる人は、その道を目指さない方が、本人の幸福につながるし。

「途中で投げ出しては行けない」という縛りがあったら、
「途中で投げ出さないために」始めることをしない、ということを、早晩子どもは学習します。

----------------------------

中学時代、とある男の子が、社会(たしか歴史)で80点をとった、とすごくうれしそうにしてました。
彼はいわゆる秀才ではない方で、そのテストでその点を撮るために、彼はすごくがんばった。
いい点を取れたことは、彼の自信につながったかも知れない。

でも、、、、、、、、

いっちゃなんだけど、コンスタントに90点を超える子どもがする勉強時間の、優に3倍以上をかけて、彼は必死の思いで80点を取ったんです。
そんなことしてたら、部活もできない、友だちと遊ぶこともできない。
人生をかなり棒に振らないと、「コンスタントにその点数」は、無理だったのです。

残念ながら、彼は勉強向きの人材では、なかった。

世の中どうしても、達成までの適正な時間てありますからね。

彼は早々にそれをさとり、べつの道で身を立てることを考えたようですが、親ガもしも、べつの道へ。。。とみちびかず、勉強シロしろ、といいつづけていたら、どうなっていたでしょうね。

disaster、ですな。



子どもにも、選択と集中というのを教えないとね。

そのためには、試行錯誤を許さないと。

コメント

yamu
2009年11月15日12:07

物差しを一つにすると、比べることが簡単になるので、それが利益になる人達は一生懸命に勧める訳です。

そんな必要は無いのにネ。

って、何で突然こんな話題?

権之助
2009年11月15日12:48

岸本葉子女史が高校時代の恩師について語った文章が、たしか読売新聞に掲載されていました。その先生は、「やるかやらないかだ」と仰っていたそうな。
ついつい親や先生は「やればできるんだ」というところ、その先生はそう言っていて、それにずいぶんと感化されたり、背中を押されていたとか。

なんかちょっと論点からそれていますが・・・

シゲ
2009年11月15日17:09

この問題むずかしいですねぇ。
子供に「選択と集中」なんてできるわけがないので、親が余裕を持って子供を観察しなけりゃいけないし、何より、親が「成長」して、自分育てをしていないと、こういう発想にはならないわけです。

でも、子育てを必死にやってる途中では、子供の「普通の読み書き」程度を満足に教えるだけで手一杯になって、親の側の「自分育て」までは気が回らないってことみたいなんですよねぇ。

親になった途端に、「子供を作るという仕事をやったから真の大人になったのだ」と学習習慣そのものを停止してしまう人も多数いてるようですし。

●まず親である自分が育たないといけないのだ。

という発想そのものが、まったくないみたいなんですよ。一般的に。

それに、もうひとつ加えて言うと、若くて子供を作った人って、とどのつまり良い意味でも悪い意味でも楽天的で、子育ての大方針とか哲学とか、そういうものが固まっていないうちにパパパパっと親になっちゃうというのが、やっぱり多いみたいですから、よけいそういう傾向になるみたいなんですねぇ。考えればわかるところを考えずに行動しているという…。

まぁ、彼女は作っても子供は作ってない、僕みたいなのが偉そうに言える話じゃないのかも、ですけどもね。GDPの伸びには全然貢献してないんだし。彼らは貢献してるんだし。
ともあれ、子供がいてると、本当に「子育て」の意識だけになって、「自分育て」は二の次という発想になっちゃうようですよ。僕はそれはかなり、相当、子供にとっても、とても良くない事だとは思ってるんですけどねぇ。でも、こういう事を指摘すると、かなり親族からは反発をくらいます。はい。

どん太
2009年11月16日0:39

yamuさま

>何で突然こんな話題?

おかしかったですか?(^_^)

どん太
2009年11月16日0:41

権之助さま

>「やるかやらないかだ」

おおう。。。
岸本葉子さんにそういった先生、だれだろう。。。

もしかしたら、同じ先生に習ってるかも知れません。
あんまり歳離れてないので。。。

どん太
2009年11月16日0:44

シゲさま

わたしはもっと悲観的というか。。。
親になってから「自分育て」では、遅いのだと思うのです。
やはり親になるまでの人格形成に瑕疵のある人は、子どもを十全には育てられない。
親になるまでの人格形成がうまく行ってる人というのは、
やはりうまく育ててもらった人で。そうでない人は、やはりうまく育てることのできない親に育てられた人。。

世代間連鎖とは、かにかくにつくられるのだ、と思うのです。

そして、「自分育て」を自覚的にする、というのは、
ACが自らを育てなおすというのとおなじで、大変に苛酷で、成算があまりみこめず、それでもやるにふさわしい意義あることなのだろうなと。

シゲ
2009年11月16日9:31

そうですね。確かに「自分育て」は難しいです。
でもあれですよ。

>大変に苛酷で、成算があまりみこめず
とありますが、大変と思えば大変、簡単と思えば簡単という側面はあると思います。
なので僕は「そんなん、むっちゃ簡単やでー」と思うようにしてるし、言っております。
まぁ主観の判断ですからね。正しいというのはありませんが。

どん太
2009年11月16日12:46

シゲさま

簡単か大変かは、その人の「病状」にもよりますから。
あとはもちろん、主観ですね。
だが、どちらに思おうと、簡単に成功はしないモノ。
と思ってます。
人様の無様さを見ていても、
たまにわがふり見直してもね。

yamu
2009年11月16日18:01

どん太さま

全然おかしくありません。

何かきっかけがあって書いた話題か、たまたま選んだ話題か、というところが気になりました。

選択と集中、試行錯誤、どちらも必要と思います。

選択と集中を本人がやることが難しいこともあるので、
端で観察している人(= 親)が助言してあげるのも良いと思います。


学習曲線も難しいところがあって、

ゆっくりながらもずっと伸びていく人もいると思うので
(一方、立上りは調子がいいが、早期にに伸び悩む人もいると思う)

最初うまくいかないからと言って、すぐに諦めるのは早計かと。


一方、成長には幅と高さの違う板を組み合わせて作った桶のように、
桶の中に溜る水の総量は、そのとき一番低い板の高さで決ってしまうことがあるように、
今伸び悩んでいることと直接関係しない別の要因に本当の原因があることも多いでしょう。

※桶を上から見た時に、0-10度が要因A、10-30度が要因B、30-60度が要因C、 ……
桶を横から見た時に、要因A の板が高さ10、要因B の板が高さ15、要因C の板が高さ5、…… 他の板は全て高さ 15 以上
としたら、この桶には一番低い要因 C の板の高さである 5 までしか水は入りません。

ここで、要因C の高さを伸ばしていくと、暫くは水がより沢山貯められるようになるのですが、そのうち要因Aの10を越えると、もうそれ以上は溜らなくなります。
今度は要因A を伸ばすことが重要になるわけで。


…… なんか、元々の記事の趣旨と合っているのか合ってないのか、分からなくなってしまいました。


柔軟に対応するのが良いようにも思いますが、
雨だれ石をも穿つ と言う言葉もあります。

好きこそものの上手、という言葉もありますし、
成果なんか関係無しに、好きだからやり続けるというのも一つの考えです。

本人の意向を無視して、効果の有無も関係無しに、
一律一方的に周りが何かを強制したとしたら、
ましてやその結果、期待した成果が出ないことを責めたりすることがあったら、
それは確かに問題だと思います。

……多分、そういうお話だったのだと思いますが。

どん太
2009年11月16日18:31

yamuさま

コメントありがとうございます。
日記は、普段頭にあるモノがぽろっとでたものを書くことがあって、今回はそれです。


>選択と集中を本人がやることが難しいこともあるので、
端で観察している人(= 親)が助言してあげるのも良いと思います。

yamuさん、シゲさんとも、親の助言肯定派、ですね。
親が適切な助言ができる人物ならいいのですが、
自分の欲求を優先するタイプだと、助言が毒になるので、
これも、シゲさんと話したところの
「そもそも毒になる親かそうでないか」によってきてしまうのだろうなあと思うのです。

とはいいながらも、助言が得られない中で子どもが子どもだけで選択をするのは、なかなか難しい。
適切な「先達(教師でも先輩でも)」がエキバレントとして存在しているか、は、その子どもの将来の稔りを大きく左右するでしょうね。


>最初うまくいかないからと言って、すぐに諦めるのは早計かと。

これは、目的を何に置くか、で変わってきますね。
どのフィールドでも競争はあって、そこで競争に勝利するとか、優勢・優等であるとかをめざすとなると、
「目的地到達までの早さ」は、大事なファクタになってきます。
私が例に出した男の子の話は、コレですね。

他者との競争を視野に入れないのなら、時間はたっぷり取れますね。

そういうときには、
>雨だれ石をも穿つ と言う言葉もあります。
>好きこそものの上手、という言葉もありますし、
成果なんか関係無しに、好きだからやり続けるというのも一つの考えです。

これが可能になりますね。


yamu
2009年11月17日6:45

どん太さま

ああ、なるほど。
3回位読み直して、漸く分かりました。

論点がズレていたようで、ゴメンナサイ。

選択と集中を子供に教えられるような親でありたいが、
親自身が十分に「大人」じゃないと、そういうことができない、と。

けれども親自身が「大人」じゃないことが多いと。

親になってから自分を「大人」に育てるべく努力しても難しいだろうと。


ええ、貧乏と一緒で、「遺伝」すると思います。
(※ 私がこの言葉を初めて見たのは、山口瞳さんの「血族」だったと思いますが、今ググったら、山のように他の事例でヒットしますね)

ただ、無理に親が上から目線で子供に教えることも無いとも思います。

横並びからの「助言」でいいと思うのですけどね。
少なくとも、「当事者」じゃない分、「傍目八目」にはなっているでしょうから。


……今度は話、合っています?

yamu
2009年11月17日6:54

あああ。

「エキバレント」って、 peer と同じ意味ですか?
別の意味ですか?

同じなら、私の「横並び……」記述は蛇足でした。


親が毒だった場合は、私の書いた、

>> 本人の意向を無視して、

に続きます。

yamu
2009年11月17日7:39

何度もゴメンナサイ。

>> 「目的地到達までの早さ」は、大事なファクタになってきます。

私の書いたのは、例えば商売で、

3年目までは負け組でも、
4年目に損益分起点を越えて、
5年目以降は勝ち組になる、

一方、競争相手は、4年目以降シェアが伸びずに、
5年目以降負け組に転落する、

というような意味の事例で書きました。

なんか、例えが変ですが。


イエ勿論、

>> 目的を何に置くか、で変わってきますね。

の通り、「3年以内の勝負」のような限定の仕方をするならば、
勝てないまま終る、ということなのですが。

どん太
2009年11月17日9:51

yamuさま
エキバレントって、親のエキバレント、です。

>親が毒だった場合は

私は親がかなり人の足を引っ張る親だったので、
「親」といわれてデフォルトに想定するのが「毒になる親」のほうなんで。。ごめんなさいね。
「適正な養育ができる親」というのを、ついオプション的に考える癖があります。


どん太
2009年11月17日9:55

あ、上下逆になっちゃった。

>横並びからの「助言」でいいと思うのですけどね。
少なくとも、「当事者」じゃない分、「傍目八目」にはなっているでしょうから。

横並びであっても、縦並びであっても、親が適切かどうか、はかかわってくると思うのですよ。

横、といったときは、親の資質以外に、こどもがその提案を好きなように扱える、ということがあるのかな?
「そんなの却下」といってかまわない、というような。

それはいいことですね。
そして、それを子どもに許すことは、「適切に養育できる」の一つの要素、だと思います。

毒になる親は、子どもの自由選択を明示、または黙示に封鎖してきますから。

どん太
2009年11月17日10:01

yamuさま

>例えば商売で、

私が想定していたのは、子どもの頃にやらされるものです。
例で出したのが、テスト勉強ですね。
これは、レベルの高い上級校に進学する、というのが目的で、3年後、などとデッドラインが決まっています。
そういう場面で、進学先を考えるとか、そういう場面を想定してます。
あとは、同じ子ども時代に選択を課される「クラブ選び」などですね。
「おけいこごとえらび」でもいいですが。


会社のように、ゴーイングコンサーンの存在は、「何年後まで」と定められていませんね。
そこは大きな違いだろうなと思います。

クラブ活動なんかでよくいわれたものなんですよ。
「いったん選んだからには最後までやれ」とか。

クラブでいじめがある、体力的についていけない、その他の理由があっても、やれ、とね。

もう、かなり状況違うのかなあ。。。

数年前、けいこがつらくて相撲部屋から逃げ帰ってきた子どもを、親が相撲部屋に押し戻して、結果親方と弟子に撲殺された子がいましたよね。
ああいうのの親を想定しています。

シゲ
2009年11月17日14:43

うむ。
いま気がついたのですが、親が「自分育て」をして、より良い親になる可能性はあるけども、親が育つスピードより、子どもが育つスピードの方が早いですからな。

●間に合わない

ということの方が、かなり多いでしょうな。(笑)
子どもが成人してから「いまだったら、もっと上手に育てられたのにっ!!!」とか言っても手遅れですしねぇ。(笑)
ははは、確かに難しいですな。

yamu
2009年11月17日16:05

どん太さま

ああ、良かった。何とか話が合ったようですね。


>> 私が想定していたのは、子どもの頃にやらされるものです。
>> 例で出したのが、テスト勉強ですね。

確かにそうですね。原理含めて全て理解すれば、どんな問題にも対応できるようになるでしょうけれど、学者でも目指しているのでなければそんなレベルの勉強は必要とされない。

要領良く、教科書等を丸暗記できる人(原理なんか理解する必要無い!)の方がよっぽど良い結果を残すし、実際社会的にもその程度しか期待されていない。


>> エキバレントって、親のエキバレント、です。
あ、親に限らず、手本となる「先達」が居れば、それはラクですね。
良く分かりました。


そうすると、私の提案は、親自身が未熟であることを理解したら、少なくともその未熟な分野については、子供の横並びからの提案に止めておこうよ(人生の先輩としての意見や所見は伝えるけれど、強制はしない。本人の決定に任せる)、と、そうなります。

自分が未熟であることすら理解できない、認識できない、認めない親であれば、正に「毒」とならざるを得ないでしょう。

どん太
2009年11月18日0:29

シゲさま

ええ、孫を見て、「いまだったらべつの子育てをしただろうに。。」みたいなのは、あるんでしょうね。

毒になる親でなくとも、子育ての期間中、多くは親自身が人間的成長を遂げるモノ、なのだと思います。

毒になる親とは、「育たない親」であるのかもしれませんね。

どん太
2009年11月18日0:32

yamuさま

はい、かみ合ってますね♪


>親自身が未熟であることを理解したら

親自身が、自ら未熟であると認識できるというのは、かなり「健全な」親でしょうね。

毒になる親は、自分が未熟であることは、気付かないのが通例、なのでしょうね。。。

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