自然農法の実験農場、秋祭り♪
2009年11月2日 日常 コメント (16)http://zuisenkyo.jp/event/event.html
伊豆の大仁のMOA大仁瑞泉郷で、11月7,8
(今週末)は恒例の秋の収穫祭です。
有機の動物資材すら使わない(緑肥はいれるそうです)自然農法の推進団体、MOAの広大な実験農場での収穫祭。
農法の点で最上級だといっていいだろう野菜と米が、
市井のスーパー並み(あるいはそれ以下)で並びます。
06年に化学物質過敏症の患者さんから教えていただいて、今年であしかけ4年目。
御用とお急ぎのない週末を送る人で、伊豆までドライブしてみようかというかたは、ぜひどうぞ。
伊豆の大仁のMOA大仁瑞泉郷で、11月7,8
(今週末)は恒例の秋の収穫祭です。
有機の動物資材すら使わない(緑肥はいれるそうです)自然農法の推進団体、MOAの広大な実験農場での収穫祭。
農法の点で最上級だといっていいだろう野菜と米が、
市井のスーパー並み(あるいはそれ以下)で並びます。
06年に化学物質過敏症の患者さんから教えていただいて、今年であしかけ4年目。
御用とお急ぎのない週末を送る人で、伊豆までドライブしてみようかというかたは、ぜひどうぞ。
コメント
岡田茂吉もあの世から嘆いているんじゃないでしょうか。ちなみに恩師の一人もルーツの先任も「入れ込む」事はなく、科学者の客観性を失っては居ません。そういう醒めた態度から再考することが、自然農法といわれる世界でに欠けているんじゃないかと私は思います。
へえ、おもしろい経緯があったんですね。。。
ご教示ありがとうございます。
>自己顕示のためには政治権力にすがるのがいいと自民党の政治でEMを広めようとしていた
EMが自民党政治のなかで特に優遇された話も聞かないので、そういう人がいた、ということで、団体として、あるいは農法の普及には寄与してはいないのでしょう。
しかし、自民党議員のけっこうが数の方が、MOA、あるいはEMのほうから個人的に作物の供給を受けている話は聞いていますので、個人レベルでは、上得意なのかも知れませんね。
上つ方は、こぞって有機、または自然農法の作物を食べて生きています。
それが相対的に脅威が少なく、栄養価が多いから、体が資本の方々はそちらになびく。
まえ淵瀬さん自身がかかれていましたが、有機・自然農法は、金持ち用で、貧乏人に大量の食糧を供給するには、農薬使用で収量を増やすしかない、というのが、農学者の認識、なのでしょうか。
まあ、現実はそうかも知れません。
>そういう醒めた態度から再考することが、
私は農学の状況はわかりませんが、学会で認知されるというのは、あるならそれにこしたことはないかもしれません。
でも、いまの農学というと、農薬使用は前提、だと思ってました。そこをはなれられない。
まあ、癌の代替療法と主流の療法のように、相容れないのかも知れませんね。
私としては欲しいのは、まず現実に耕地面積と、生産者の数が増えること、ですが、そちら(学界)からの認知が後押ししてくれるなら、あってもいいでしょうね。
爺目は農家の出で思考は農業の視点でしかできません。
無農薬ナンテェ~議論の余地ナゾがないのです。
ところが経済性がどうしても工業製品に負けるゆえ後継者不足にあります。
11月1日たかじんの委員会のテレビで歌手加藤登紀子がご主人が自然農法ゆえと金美麗にバカにされてて爺はテレビに向かって怒ってたぐらいです。
活動ご苦労さまです。近くならご協力できたのですが愛スミマセン。思いつきの深夜その場で書いてます点も割り引いてください。
MOA、岡田茂吉さんの話、なにも問題だとは感じませんでしたよ♪
わたしは信者じゃないし、過去にいろんな経緯があったのも聞いていて、はために「あらあら、たいへんねえ。。。」と思ってる程度ですから。
>無農薬ナンテェ~議論の余地ナゾがないのです
ココは強く言いたいことがあります。
「農薬無しでは農業はできない」
というのは、これまた、国(=自民党)+農協が
国民、とくに農業従事者に信じ込ませてきたモノです。
農協のもとで農業をしていると、そういう洗脳をされる。
MOAの研修所がおなじ大仁にありますが、学生はその洗脳をうけていないか、「脱洗脳」した農業後継者の若者です。
実に気持ちいいですよ。
自分の収益のことだけでなく、地球環境のことまで考えて職業を選んでいる点は、せきやんさんや、お日様だいすきさんにも通じると思います。
「農薬がないと農業はできない」は、
いわば植草さんや佐藤さんなどがあばこうとしている、
国民洗脳・ダマシのドグマと同様の、
誤った洗脳、だと思います。
現状、法制度整備をもうすこしなんとかしないと、
「経営」という視点では相当苦労が必要、というのは、まだある現実ですが、これは人が変えられる問題、ですね。
学生時代に読みました。
「すごー」とはおもいつつ、私には重すぎ。。
柴田翔の「されど。。」は身の丈の小説として、
愛読しましたが。。。
卒業後、いつだったかなあ、なにかの用で卒業証明書だか成績証明書だかをとりに行ったときかな、証明書に
「文学部長 柴田翔」の名前があって感動しましたっけ。。
それが
「岡田茂吉さんのレーゾンデートル」だからです。
そして、教義の主柱だから。
岡田さんはもともと美術工芸家で、日本的な美を子どものウチから生活に取り込むことを教義の一つにしている。
宗教団体は税制で最高の優遇を受けていますから、流行っているところは、どこも資金は潤沢でしょう。
その潤沢な資金を「真理党」だの「幸福実現党」だのと政治活動に使うところもあれば、美術品の所蔵に使うところもある。
それはその団体のカラーというモノでしょう。
でも、そもそも大昔、化学農薬は無かった訳で・・・。で、農薬を使うと耐性が出来て、いたちごっこになります。ほんと、これから大変です。
今年は田んぼに稲刈りの後、れんげの種を蒔きました。春はれんげ畑になればいいと思ってます。
このあたり、合成化学農薬もハーバー・ボッシュ法による窒素固定も無かった時代のあるブレヒト・テーア氏は「合理的農業」をどう考えていたのか、古典を紐解くことで見えてくるものもあるのではないかと私は考えています(140年前のイギリス農業を評価した古典は読みましたが、これは肥培管理の評価だけでした)。
ウチの農薬研究者が毎度成果検討会に出しては「意味あんの?」と幹部から突っ込まれる、除草剤或いは殺虫剤暴露が同じ圃場にいる虫の仲間・魚類或いは草本植物に与える影響のグラフでみると、殺虫剤が標的の虫以外に影響が現れる濃度は3桁違い草本植物に与える影響はさらに3桁違う、除草剤が指標昆虫・魚類に影響を現すには同様に3-6桁の濃度差がある、というものがあります。
標的とする虫・草以外の生物に圃場内ですら影響しないといえるのに(影響が現れるほど撒いたら経営上やっていけない)、それが環境中にでた場合の毒性を評価する価値はあるのか?と幹部からは毎度突っ込まれてて、それに対して、この研究者氏は何も答えられてなかったりするのです。
>売れる農産物には農薬は必須と農家は云いますね
ミクシでいいこというなあと思う方の言葉ですが、
「無農薬の野菜をもとめる消費者は、すでに見てくれの良さを追い求めるという消費スタイルは卒業していると思います」
というのがありました。
問題は、その「卒業した消費者」の数が増えないと、
無農薬野菜の生産に切り替わろうとする生産者さんがでない、ということなんですよね。
農協が大シフトでもして、その潤沢な資金で「無農薬はいいよ!」キャンペーンでもやれば、消費者はいちころで無農薬信者になりそうですが。。。
まあそういうことは起こらないしね。
その手間が省けること=コストがかからないことが、いまのたべものの異様な安さにつながるわけですよね。
私は淵瀬さんが「否定はしない」信条といった菜食もずっとつづけてきたもの、ですので、自分が適正だと思う価格の食品をこれからも買っていきたいと思っています。
>殺虫剤が標的の虫以外に影響が現れる濃度は3桁違い草本植物に与える影響はさらに3桁違う、除草剤が指標昆虫・魚類に影響を現すには同様に3-6桁の濃度差がある、というものがあります。
>標的とする虫・草以外の生物に圃場内ですら影響しないといえるのに(影響が現れるほど撒いたら経営上やっていけない)、それが環境中にでた場合の毒性を評価する価値はあるのか
ふーん。。。
でも私のように過敏症を発症してしまうと、まるで「標的」昆虫になったかのごとく、数百メートル先からのドリフトで体調悪化がやってきます。
動物のホメオスタシスも、あんまり鉄壁の信頼を置けるモノではないようです。
>野菜は虫食いだらけ
やはりプロの自然農法家の作物は、虫食いも非常に少ないです。
その環境に適した(強い)作物をつくるのを優先して、市場の動向で作物を決めていない、というのもあるのでしょうが、細かいノウハウがやはりあるようです。
MOAのたぐい(別にココに限らないけれど。要はノウハウを持っていて、商業的に成り立っているプロ)にコツをきいてみるのもいいかもしれませんね。
>、そもそも大昔、化学農薬は無かった訳で・・・
ほんとにそうですね。
私が子どもだった40年前、田圃では蛍がふつうにとびかっていました。
今はありえませんね。
まずは化学肥料が先にでてきて、肥料たっぷりの魅力的な作物を狙って虫がやってき、これを殺すために殺虫剤が投入される。。。
そのサイクルはどんどん強化される、ということですね。
そうやっていくうちに土地は死に、やせほそり、自力で作物を育てることができなくなる。。
阿呆な話だと思います。
>農薬かけずに出来ただけ感謝して食います
超極論というか暴論なんですが、都市部以外ではこれが可能、というくらいの余裕のある人口なら、これが多くの場所で可能で、ずいぶんと日本の「あくせく度」は減るでしょうに。。。と思うこと時々あります。
わたしも夫の仕事の問題さえなければ、田舎(福島)に帰って「できただけ感謝して」収穫する生活、あこがれます。。。
ただ、すでに化学物質過敏症を発症した身では、周辺のドリフトがあるので、わが家の田畑では、私はサバイブできません。。
宮崎にはそうした若い世代がやってきています。
>宮崎にはそうした若い世代がやってきています。
いいですねえ!
そういう若い人の希望の中に、地方の未来が見える気がします。
「科学は人の死ごとに一歩ずつ進む」ということわざ(たぶんヨーロッパの)を聞いたことがあります。
古い考えの上世代が死に絶えることで、世の中も良くなっていくのかも。。