ポテト州ポテト村の友人からの便り。


古典に出てくる変な話。

ちんちろり。
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/0754chinchirori.htm

猫の特訓。
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/0315neko_shu.htm


ついつい他のも読んでしまった。。。

面白かったのはこれ。

女は現実的。
http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/0171shininwo.htm


コメント

せきやん
2009年9月22日3:59

深夜怪奇のお話はいけません
摂津国・富田の名称は日本書紀の第二十七代安閑天皇后の
    御料地として「屯田」
、室町時代になり、八代将軍妻日野富子から吉祥名に変更してはといわれ「富ん田」

酒飲みの初夢 回文の「初夢の歌」として宝船の絵に添えられる名高いもの。
これを枕の下にすることによって良い初夢を祈願する。
 「長き夜のとおのねぶりのみなめざめ波乗り船の音のよきかな」
 「とおのねぶり」=「十人の仲間が船の仲で一緒に寝て」
、「遠の眠り」=深い眠り、「疾うの眠り」=早い眠り

、十七世紀後半の江戸の町で「富田酒」は人気を博した。
何故に酒所か。
 ①浄土真宗寺内町の富田の町で山崎の合戦で豊臣秀吉の最前線基地、文禄年間に豊臣政権の直轄領となる御蔵ができた
、②関ヶ原の合戦で、徳川家康に味方して、兵糧や燃料の支援をしたことによって家康から酒造特権を獲得した事
③酒造業の必要条件を富田の地は満たしていたという。
すなわち、御蔵の存在が資本の確保と米の入手を容易にし、
阿武山山系の豊富な酒造りに適した水が得られなおかつ人手が集めやすかった等の好条件が揃っていた
④文明年間(1469~1487)浄土真宗中興の祖蓮如上人が近松御坊(滋賀県大津市)吉崎御坊(福井県)とともに摂津国に富田道場を建立したので、真宗門徒が集まって、寺内町を形成
東側はキリシタン大名高山右近、西側は中川清秀らの城下町に囲まれる特異な都市を成していた
キリシタン大名右近の霊が未だ漂う。
高山ガラシャの悲劇はよみがえりの細川護熙政権の短命の悲劇
お話を教え頂いた今日はお彼岸でさえアル巡り合わせ。。
・・げに女人はこわきモノ。・・・
・・されど女人は恋しきモノ
ニ節めは爺の追加。オユルシアレ!
爺の鉄道用地買収のお役所つとめの時富田林に寮があった

どん太
2009年9月22日13:17

田林、そんないわれがあったんですね。

学生時代遊びに行ったことがあります。
なつかしいなあ。。

女はこわいです~~?。
ウフフ、女人からしてみると、男は恋しきものですわ♪

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