もうひとつ。。。

「病気になったお陰で、たくさんのことを学んだ」
「たくさんの気づきがあった」
ひどいのになると「病気になって良かった」

というのが、苦手。

そんなこと、わたしも癌になったときに、言ってきました。

自分が病気というマイナスに出会ったとき、それでも人生を肯定的に見るためには、都合のいい言葉だったと思います。

でも、それは、ネット(差し引き)で気づきという、プラスの方が多かったときにこそ、言える言葉。。。

私がそれを言ったのは、まずいことに、患者会などの中、でもありました。

中には、余命1ヶ月の人もいる会の中です。

私の言葉を聞いた、病期の進んだ患者さんの複雑な表情を、私はその時、気にもかけませんでした。

彼らは、いかに学んだことが大きかろうと、それを生かす場は、
「平安のウチに死んでいく」場面くらいです。
死の前に、周りの人間に感謝して、よい感情のやりとりの中で死んでいく、だけ。。。

それを「よかった」「気づきが多かった」と、病気を肯定的にとらえる契機にできるのは、ごくわずかの「妙好人」だけではないでしょうか。

もっと生きたかった。
もっといろんなことがしたかった。

と言う思いを断念しなければならない仕事は、その人一人に残されたままです。

そういう人の前で「きづけてよかった~~♪」と脳天気に言えるのは、やはり、その重苦しい仕事を、しないで済んでいるから、だと思うわけです。

要は、軽症者だからこそいえること。

そうとらえられても仕方がない。重い症状の中で生きることがやっとの人には。

そういう苦しみを思いやったり、想像する努力をしてないが故の言葉。
に聞こえて仕方ない。

じっさい、他者の苦しみに寄り添うことができる人は、ほんとに少ないなあと思います。
経験しないことは、できないのが常だから、仕方ないのだけれど。

今回、前回の初期癌よりも、遙かに大きく生活を制約してくる病気にかかって、やっとそのことに気付けたわけです、私としては。。。

家に住むことができず、逃げ回る人、携帯電波のないところなんてないから、逃げ場もない人。
そういう人を知りながら、「病になって気付けて良かった」は、思っても、言えません。彼らの前では。
彼らは気付いたからと言って、それを避ける術もない。
「電磁波は体に悪いよ」とわかっても、避ける術がない。

苦しいよね。
平安のうちに、健康なままで、暮らせていたら一番だよね。


そう、語りかけるしかないなあ。。。。

というわけで、軽症者が軽々に吐くこの手の言葉、嫌いだし、苦手です。


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あ、

>じっさい、他者の苦しみに寄り添うことができる人は、ほんとに少ないなあと思います。

あ、もちろん、私も「寄り添えない人」です。
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病には、ならない方がいいわけです。

病になって気付くよりも、病にならずに気付く方がいい。
それができるひとはたくさんいる。

気づきの価値をあんまりほめそやすと、病をまるでいい物であるかのようにゆがめてしまう。

気づきというのは、病という、どうしようもない悪い状況のなかで、その悪さばかりを見ない、という、カウンターの重りとして使われる程度にとどめておくのがいい。

まあ、たいして重い病気でなければ、「病気になって気付けて良かった♪」と吹聴することは簡単ですが。

重い病気の人には、あてはめられないでしょう。
そのときは、自分が軽症であることに感謝するのが先かも。


病は、ないほうがいい。

命あっていきている以上、健康なのが一番です。

健康でも、十分な共感性をもっていれば、気付くことはたくさんあるはず。

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