先日、「みんな幸せになりたいのにねえ」「不幸になりたい人はいないのに」
といった言葉を聞くことがありました。


まあ、一般論としては、そうです。

「好きで病気になる人もいない」それも。


でも、意識して不幸になる人はいなくても、

①自分の中に抱えた衝動にあらがえず、不幸をみずから招いてしまう

人は沢山います。

また、

②疾病利得(しっぺいりとく)といって、病気になることでその人が、以前よりもメリットの大きい人生を送れるようになる(ので、無意識的に、病気を望んでいる)

ということも、よくおこります。

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①衝動を抱えていて、それゆえどうしても不幸になる。

DV加害者達は、自分の中に抱えた怒りが大きすぎて、
これを誰かにぶつけないと、いられない衝動を抱えています。

で、それを、ぶつけやすい妻にぶつける。
そんなことしたら妻が逃げていったり、妻が病気になったり、死んだりして、それは自分にとっても不幸なのに、そのことがたとえ判っていても、わかっているからといって
攻撃の手を弱められる加害者は、多くはありません。

子どもを虐待する母や、子どもに厳しくしすぎて、発達を歪ませる母も、同じです。

そんなことしちゃいけない、ということにまず気付かないし、気付いたからと言ってやめられるものでもない。

そんな家に育った子どもは不幸ですが、逃れる術もない。

「幸せになりたい」は意識レベルの話。
無意識レベルでは、結果として不幸に結びつく衝動に支配されてるなんて、いくらでもあります。

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②疾病利得

がん関係の本を読んでいると、たくさん出てきます。

舅姑にこき使われて介護介護の日々だったのが、自分が乳ガンにかかったお陰で、休むことができた、とか。

どうにも逃げ場のないDV被害者が、癌にかかることで、「人生その物から」逃げられた、とか。

私はCSにも、場合によっては、疾病利得の面があることは、あるだろうなと思います。

私の場合、それ以前の夫の辛い仕打ちで、「どうかそれをやめてほしい」といくら訴えてもやめてくれないことがあり。。。

その説得の過程で「嗚呼この人はどうやっても態度を改める気なんか、ないんだ」とつくづくわかって、絶望のどん底にいたとき、
CSESを発症しました。

精神的ストレスと絶望から、免疫力がどん底になっていたんでしょう。

以後。。。

夫は急に改心したかに見えます。
癌の時にも改心しなかったのに。

ということは、私がCSESになることには、夫が危機感を感じ、態度を改める、という利得がついてきた、ということです。

好きで病気になってる人は、たくさんいるわけです。
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癌とCSを並べて論じてはいけないでしょうね。

かたや、死ぬ病気です。
かたや、まあ、これだけで死ぬと言うことは、まずない。
(急性の毒物中毒で死ぬことはあっても)

疾病利得を語るには、この場合CSのほうがぐっと適していると思います。

病気のデメリットが相対的に小さいので、メリットをネットでプラスにすることが可能だから。


だから、ほんとに病気から治りたいと思ったとき、
「自分の疾病利得はナンだろう」
というのを考えるのもきっと、大事なんでしょうね。

その利得を、健康な状態でも享受できる、というのが、
体で判らないと、体は、病気を捨てる準備ができませんから。。。。

逆に言えば、それくらい、自分の人生が幸福にならないと、なかなか、利得のある病気は治らない、ということでしょうね。



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