忌野清志郎さん、お父さんがレイテで戦死してるんだそうですね。
あんまり、彼自身のことについては知りませんでしたが。
で、お母さんの、お父さんに対する気持ちや、軍や政府に対する感情を書いた日記を見てから、戦争は嫌だ、との思いが強くなったそう。
彼の「デイドリーム・ビリーバー」といううたがあるのですが。。
http://www.youtube.com/watch?v=LZycXT1iCRA&feature=related
別れた彼女に感謝する歌かと思ったら、死んだお母さんへの思いを歌った詩、なんだそうです。。
「彼女」とは、彼の夢をずっと応援してくれたお母さんだったそうで。。
-------------
もう今は 彼女はどこにもいない
朝はやく 目覚ましがなっても
そういつも 彼女とくらしてきたよ
ケンカしたり 仲直りしたり
ずっと夢を見て 安心してた
僕は Day Dream Beiliever
そんで
彼女は クイーン
でも それは 遠い遠い思い出
日がくれて テーブルにすわっても
Ah 今は彼女 写真の中で やさしい目で 僕に微笑む
ずっと夢を見て 幸せだったな
僕は Day Dream Beiliever
そんで
彼女は クイーン
ずっと夢を見て いまもみてる
僕は Day Dream Beiliever
そんで
彼女は クイーン
ずっと夢見させてくれてありがとう
僕は Day Dream Beiliever
そんで
彼女は クイーン
------------
私は祖父が戦死しています。両方とも。
母方は上海で。もう、日中戦争最初のウチに、たまよけとして殺されました。
父方は。。。きかないまま父が死んだので、知らない。
夫の祖父も、片方が戦死、じゃなくて、敗戦で自決。
自分で敗戦の責任とって死んだだけ軍事裁判にかかった幕僚連中より
はるかに潔いと思うけど。
もう片方は生物化学兵器開発機関で働いてたもんで、召集されず。
自分の意志からでなく、召集されて殺された私の祖父達のような人生の方が、当時は圧倒的に多かったでしょう。
その後の祖母の苦労も、断片的にですが、聞いてます。
なにより、稼ぎ手の父を失ったわが両親の苦労は、彼らは苦労と思ったかどうかは知らないが、ずっと聞いてきました。
両親とも、育英会奨学金をもらっての大学進学。
母は祖母の反対押し切っての進学。学寮で生活。
父は東京の親戚に厄介になっての進学、通学。(母は大阪)
私がけっこう大きくなるまで、借金を返していたはず。。。
遺族年金が出たと言っても、男手があって働けてたほうがよっぽどよかった。
でももっと本質的なことを言えば、「父のロールモデル」を、
わが父も母も、もてていなかった。
父は、父に当たる人物からかわいがられることがなかったので、
自分の子に父らしい愛情を持って接すると言うことがなかった。
(すくなくとも上の二人の女の子に対しては)
母については。。。
もしも娘達が父から父らしい愛情を受けていたら、大変な嫉妬にさいなまれたのでは。
それを避けるためにも、「ファザリングのできない男」を選んだし、
夫と仲を悪くして、娘達を自分の味方にすることで、さらに
「娘が父から愛を受ける」という悲惨な(!)事態を避けるようになった。
そういう意味では、私と妹は戦争で祖父を殺されてほんとに、いいことなかった。
そういう思いが、すくなくとも私の中には強くあります。
だからこそ、
「戦争やってもうけるのは上の人たちだけ」
「戦争でその世代の命どころか、次の次の世代まで精神的に損するのは我々の階級」
という意識が私にはとても強い。
キヨシローさんは、祖父でなく父ですから、より直裁に
「戦争はいやだ」との思いは、強かったでしょう。
一方で、最近は鈍感な私でも、ネット右翼というのが若い子にとても多いのを感じます。
戦争の被害を受けてない?
あるいは受けていても関連づけられていない。。。
戦争になったり、徴兵制が敷かれたりしたら、いちばん損しそうな階層の子たちなのに。。。。
もちろん、戦争で悪い目特に見ていない人が、プリミティブに
「靖国は日本を守った英霊のミタマが眠る場所だからぜひ参拝したい」
とかいうのもあるけれど。。。
ようは、「戦争で痛い目見た」と思った人でないと、
おかみにたてついてまで「戦争したくない」
とは、いわないし、いえない雰囲気のいまなのかなあと。。。。。
---------------------------
私も妹も、「進学は国公立しかダメ」といわれてきました。
両親とも、国立で、母は女子寮がある大学を選んで、そこしか進学できなかったわけですから、ある意味納得は行くのですが。。。
そこまでして「進学」「学歴」としがみついたわけは、
学歴こそが、悲惨な戦死から逃れるすべ、に見えたからでしょう。
夫の祖父は、片方が陸軍中野学校。片方が東大(両者とも貧しい)。
私の祖父は、せいぜいが高等小学校です。
その学歴偏重の意識が、私や妹にどれだけプレッシャを与えたか、
は、また別の話。。。
まあ、夫にもそれはずしりとのしかかっていたわけですが。。。
学歴こそが、死をまぬかれる道に見えたことでしょう。
あんまり、彼自身のことについては知りませんでしたが。
で、お母さんの、お父さんに対する気持ちや、軍や政府に対する感情を書いた日記を見てから、戦争は嫌だ、との思いが強くなったそう。
彼の「デイドリーム・ビリーバー」といううたがあるのですが。。
http://www.youtube.com/watch?v=LZycXT1iCRA&feature=related
別れた彼女に感謝する歌かと思ったら、死んだお母さんへの思いを歌った詩、なんだそうです。。
「彼女」とは、彼の夢をずっと応援してくれたお母さんだったそうで。。
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もう今は 彼女はどこにもいない
朝はやく 目覚ましがなっても
そういつも 彼女とくらしてきたよ
ケンカしたり 仲直りしたり
ずっと夢を見て 安心してた
僕は Day Dream Beiliever
そんで
彼女は クイーン
でも それは 遠い遠い思い出
日がくれて テーブルにすわっても
Ah 今は彼女 写真の中で やさしい目で 僕に微笑む
ずっと夢を見て 幸せだったな
僕は Day Dream Beiliever
そんで
彼女は クイーン
ずっと夢を見て いまもみてる
僕は Day Dream Beiliever
そんで
彼女は クイーン
ずっと夢見させてくれてありがとう
僕は Day Dream Beiliever
そんで
彼女は クイーン
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私は祖父が戦死しています。両方とも。
母方は上海で。もう、日中戦争最初のウチに、たまよけとして殺されました。
父方は。。。きかないまま父が死んだので、知らない。
夫の祖父も、片方が戦死、じゃなくて、敗戦で自決。
自分で敗戦の責任とって死んだだけ軍事裁判にかかった幕僚連中より
はるかに潔いと思うけど。
もう片方は生物化学兵器開発機関で働いてたもんで、召集されず。
自分の意志からでなく、召集されて殺された私の祖父達のような人生の方が、当時は圧倒的に多かったでしょう。
その後の祖母の苦労も、断片的にですが、聞いてます。
なにより、稼ぎ手の父を失ったわが両親の苦労は、彼らは苦労と思ったかどうかは知らないが、ずっと聞いてきました。
両親とも、育英会奨学金をもらっての大学進学。
母は祖母の反対押し切っての進学。学寮で生活。
父は東京の親戚に厄介になっての進学、通学。(母は大阪)
私がけっこう大きくなるまで、借金を返していたはず。。。
遺族年金が出たと言っても、男手があって働けてたほうがよっぽどよかった。
でももっと本質的なことを言えば、「父のロールモデル」を、
わが父も母も、もてていなかった。
父は、父に当たる人物からかわいがられることがなかったので、
自分の子に父らしい愛情を持って接すると言うことがなかった。
(すくなくとも上の二人の女の子に対しては)
母については。。。
もしも娘達が父から父らしい愛情を受けていたら、大変な嫉妬にさいなまれたのでは。
それを避けるためにも、「ファザリングのできない男」を選んだし、
夫と仲を悪くして、娘達を自分の味方にすることで、さらに
「娘が父から愛を受ける」という悲惨な(!)事態を避けるようになった。
そういう意味では、私と妹は戦争で祖父を殺されてほんとに、いいことなかった。
そういう思いが、すくなくとも私の中には強くあります。
だからこそ、
「戦争やってもうけるのは上の人たちだけ」
「戦争でその世代の命どころか、次の次の世代まで精神的に損するのは我々の階級」
という意識が私にはとても強い。
キヨシローさんは、祖父でなく父ですから、より直裁に
「戦争はいやだ」との思いは、強かったでしょう。
一方で、最近は鈍感な私でも、ネット右翼というのが若い子にとても多いのを感じます。
戦争の被害を受けてない?
あるいは受けていても関連づけられていない。。。
戦争になったり、徴兵制が敷かれたりしたら、いちばん損しそうな階層の子たちなのに。。。。
もちろん、戦争で悪い目特に見ていない人が、プリミティブに
「靖国は日本を守った英霊のミタマが眠る場所だからぜひ参拝したい」
とかいうのもあるけれど。。。
ようは、「戦争で痛い目見た」と思った人でないと、
おかみにたてついてまで「戦争したくない」
とは、いわないし、いえない雰囲気のいまなのかなあと。。。。。
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私も妹も、「進学は国公立しかダメ」といわれてきました。
両親とも、国立で、母は女子寮がある大学を選んで、そこしか進学できなかったわけですから、ある意味納得は行くのですが。。。
そこまでして「進学」「学歴」としがみついたわけは、
学歴こそが、悲惨な戦死から逃れるすべ、に見えたからでしょう。
夫の祖父は、片方が陸軍中野学校。片方が東大(両者とも貧しい)。
私の祖父は、せいぜいが高等小学校です。
その学歴偏重の意識が、私や妹にどれだけプレッシャを与えたか、
は、また別の話。。。
まあ、夫にもそれはずしりとのしかかっていたわけですが。。。
学歴こそが、死をまぬかれる道に見えたことでしょう。
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