そして、業

2008年8月15日
母と父が戦後なめた辛酸、は、結局こちらにも、とばっちりとして来ていると思います。

母には父がなく、一方親戚や友だちには父がいて(いない子も多かったけど)、
父がいない悲哀を確実に経験したはずなのに、「自分は父がいない代わり、親戚にかわいがられた」から幸せだった、と母は常々言ってきました。

しかし、母の築いた家庭は、夫婦仲が悪く、夫婦がいつもいさかってる家庭でした。

そんな家庭で、私も妹も、母の味方になって、母の考えや感じ方をコピーして、父を嫌ってました。

でも今思うと、もしも私たち娘が父からかわいがられたら、母はその光景に強い嫉妬を感じたろうな、と思うのです。

「自分は父からなにもしてもらえなかったのに、この子達は。。」
「自分には父がいなかったのに、この子達には。。」

娘達が父となかよくなるのを、母が機嫌良く喜んで見つめられなかったのはは、そのあたりもあるんではないかと。

「私は幸せだった」と合理化することで、その傷を、彼女は見ずに過ごしてきたんだろうなと。
だからこそ、気づくことなく、コントロールできるようにもならず、人間として愚かなままで、母は父(や私)との関係を終えました。


父も、父なしで育ってるので、父のロールモデルがない。
だけでなく、やはり「子どもたちが父にかわいがられる」という状況ができたら、それには嫉妬や怒りを感じたでしょうね。

彼は、ファザリング(父として子に接すること)を「知らない」だけでなく、父を意識してやって、結果として自分自身が古傷(父のない喪失感や苦しみの記憶の再現)をよみがえらずことができなかったんだろうなと。

先の日記で、「父母が戦後になめた辛酸がなければよかった」というのは、その辛酸の結果が、私や妹の不幸にもつながっているから、なんですよね。

ひとりで歩くとき、みんみんぜみのシャワーの中で、祖父(とくにイメージするのは、出征の写真の母方の祖父)が生きていたら、と夢想します。

祖父がいて、孫と遊んだりして、ゆったりと人生を享受して死んでいったのだったら。。。。

それは、私にも、幸せなことだったろうな。

祖父のためだけでなく、母のため、私のためにも、祖父には、生きていて欲しかったです。

(天国のおじいさんに捧げます)

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