巨大な陰茎を走らす

2008年7月28日
例の、米国話。

いまだにジャガイモ産地のその州あたりでは、コンパクトカーに乗るのは、男として自分が「かま」であることをカムアウトするかのような忸怩たるものがあるらしい。

一人で巨大なトラックでピザ屋に乗り付けるなど、無駄にガソリンを消費する生活らしい。

ガソリンを消費しないと男性性を奪われる、という恐怖に取り憑かれた生活。
石油と排気量によって成り立つ男性アイデンティティ。
車は走る陰茎。

さんざんですな。

で、コンパクトカーよりもっとエコな自転車については、テロなみの偏見が。
自転車に乗る=貧乏・ドロップアウト・敗者、なのだそうで。

まっとうな社会人が自転車に乗ろうと思ったら、まず車のルーフに自転車を積み、無駄に標高の高いところにのぼり、そこでおもむろに自転車を下ろし、ぴっちんぱっつんの自転車スーツに宇宙人風のヘルメットをつけ、しかるのちにでないと、乗れないそうな。

もちろん、「地球温暖化」はゴアのデマゴギーだし。

陰茎を乗り回す連中は、じつに度し難い人生を生きてるのでした。

そんなのがいる世の中で、「あ、袋いいです」とかいうことに、なにほどの意味があろうか。
あほらしくなってくる。

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ああいうところで男をやるというのは、かなりに難儀なことなのかも知れない。

女がある地域や時代で女に生まれるのでなく女になるのと同様、
彼らはあそこでは男に生まれただけでは、男になることができない。

巨大な鉄の塊で武装し、銃は「民主主義の象徴」なのだとばかりに「射つ」ものでさらに武装し。

男の攻撃性、射精性をつねに誇張し誇示しないと、男でいられない。

男ってなんなんだろうねえ。
対する女は、女性を誇張しないでも女でいるようだし。

そこまで男らしい文化なんだけど、性交の相手を少年にすることがないところが、イスラム圏とのちがいですね。

イスラム圏の男は、子ども時代はじつに女と同質なんだけど。
少年は、成人男性の性を受け入れる存在。
ギリシアもそうだわね。

男を誇示する文化がもういっぽうで、少年の男性性を徹底的に否定して、女性扱いする。

性を誇張する文化は、生身の性器自体には、性を象徴する力を認めない。

なんかね。。。。

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