芝居の思い出

2008年7月7日
先日芝居をみたせいか、昔のこととか思い出してしみじみ〜〜〜

としてます。

70年代に少女だったもんで、「ガラスの仮面」はお約束。
小学校から私もずっと演劇部でした。

中学校の頃は男の部員がいなくてわたしが男役。後輩からチョコもらったなつかしい思い出も。。。
その後身長が伸びなかったので、それっきりでしたが。

高校時代は早々に芝居の才能はないなと悟って、戯曲に手を入れたり(全くの創作は書けない)、当日は照明や音響効果をやって、楽しく日々を送ってました。

唐十郎、井上ひさし、寺山修司、竹内銃一郎、
モリエール、チェホフ、シェイクスピア。。。

それにあの頃は野田秀樹全盛期。
快刀乱麻とか、見に行ったなあ。。。「かま」の間に「伊藤蘭」(といっても今の人は知るまい)が入ってるのね。

う〜ん授業をさぼって体育館の舞台裏で友だちとしゃべってたり。。。

大学1年の学園祭にクラスで出した演目、ピーター・シェーファーの
「ブラック・コメディ」を最後に、演劇をやる日々とは縁が切れました。

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高校時代の友人は、他の皆が大学進学希望の中、ひとりだけ専門学校「舞台芸術学院」へ。。。
卒業後は四季に行きたいと言ってたけど夢破れ、恋人と小劇団をつくって、そこで芝居をしてました。

大学時代の友人の一人は、大学の演劇サークルにはまって、お酒メーカーに入って数年修業した後さくっとやめて、横浜で飲み屋を始めました。
芝居をなにかのかたちで、つづけたくて、というのもあったそうです。

そんなこんなで券があちこちから「買って〜〜」とやってくる日々だったので、OLになってからも、あっちゃこっちゃ、友だちつながりで見に行く日々がつづきましたが。。。

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OLやって多少のお金ができると、歌舞伎座がよいが始まってしまって。

片岡孝夫(いまの仁左衛門か)や、当時の扇雀(いまの坂田藤十郎さまだ〜〜)が私の2大ヒーローに。
かぶりつき出見てました。

そのうち役者に飽きて、浄瑠璃に。

通うのは歌舞伎座から国立劇場小劇場へ。

太棹と太夫さんの語りがすきでどっぷり。

それも、東京を出て引っ込んでから、ぷつんと途絶えてしまいましたが。。。。

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ついこのまえまで通ってた学校。

駅(四ツ谷駅)から学校までの短い距離の途中に、「国立劇場」の広告掲示板があるのです。

「ああいまは心中天網島がかかってるのか」
「心中宵庚申か」(なぜか近松にひかれる)

などなど、心惹かれる狂言の数々を横目に見ながら、
授業に出る以外、どこにも体力の余分がなく、いちども見に行くことはできなかった4年間。。。

なんだったんだろうと思いますね。

単位なんか落としていいから、きびすを返して国立劇場に行ってしまえば良かった。

電話を取って、「ちょぼ床」わきの席を予約すれば良かった。

ああ泣ける、といっって一杯涙を流せば良かった。

もったいないことをした。

発病してしまった今となっては、発病前の当時でも「空気悪いな〜〜」と感じた劇場の空気に自分をさらすのは、なんとも勇気が出ません。

やればよかったことを、つまらん計算や思惑から、やらずに終わった人生。

。。だなあと、些細なことなんではありますが、先日、ひょんな縁から芝居を見に行って、
ひさしぶりに純粋にたんのうして、
「もったいなかったのう。。。」と後悔しきり、であるのです。。。

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