「世の中には、どれだけ道にはげむ人がいるのでしょうか。」

その問いを聞き釈尊は

「道による勝者と  
 道を説く者と  
 道に生きるもの 
 道を汚すものあり  

 この四者を 道を探るものと言う」

「道による勝者とは、」

疑いを超え、苦悩を離れ、安らぎを楽しみ、貧欲を除き、法を説き、判別する人である

「道を説くものとは」

この世で最上のものを最上のものであると知り、法を説き、判別する人で疑いを断ち
修行者たちの中で不動なる聖者である。

「道に生きるものとは」

よく説かれた法句により生き、自らを制し、思慮があり、
我の無い言葉を用いている修行者である

「道を汚すものとは」

よく戒律を守っている振りをしているもので、
自我が強く 家紋を汚し、傲慢で、偽りがあり、
自制心が無く、おしゃべりでしかも殊勝らしく行動するものである。

このような四種類の修行者があることを知り、彼らをよく観察し洞察せよ、そうすればお前が汚れたものと汚れていないものと、
清いものと清くないものを間違えるようなことはないであろう。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

だそうで。。。。

仏の教えなどを読んでたのは20代の頃ですが。
あのころのわたしは4番目そのものでした。

野狐(やこ)そのものだったといってもいいや。

なつかしい話を思い出した。

田中英光の「野狐」高校・大学頃に好きでした。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000126/card1663.html

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私は悟ることなく、野狐(やこ)であることも降りてしまったけれど。

野狐でいつづけるというのも才能、というより努力で。
わしにはできんかった。

いや、まだ野狐(やこ)なのかもしれぬが。

それよりは楽しい野生の狐(きつね)が良いなあ。

因果の中にいて因果にどっぷりと運ばれ。

それを拒まず。
いや時に拒んだり。
それでも逃れられず。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

http://www.aozora.gr.jp/cards/000126/files/1663_21034.html
今読んだら反吐が出る。

他者帰責のはげしいクズ。
しかも薬物依存でアル中のDV。
無責任のかたまり。
自分がどれだけ周囲に迷惑をかけているクズかの
認識がない。
ないもんで、妻も愛人も徹底的に侮蔑している。
経済的に恵まれた育ちの、金の価値を知らぬクズ。
共産党に入ってたそうだが、貧しい者のことなどなにも知ることなく終わったろうクズ。

こういうのを読んでたのかと思うと愕然だわ。。。
なにがよくて何度も何度もバカのように繰り返し。

早い話が、当時の私が、これに嫌悪を覚えないほどに、
この主人公なみの人間だったと言うことですね。

ああやはりただの狐がいい。

ただの、狐だったり猫だったり、熊だったり鳥だったり鹿だったりする方がよっぽどいいわ。。。

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