先日サックな映画をみてこれとくらべたのが「やけぼっくいに火」になって、DVDを買いました。
ついでに日本語訳の本も。
本は前に別の人の訳で買ったモノを、たぶん去年の夏かどこかで、捨ててしまったので。。
初回特典とかで、マイケルカニンガム(作者)、スティーブン・ダルドリー(監督)や脚本家、ウルフ研究者その他のインタビューがついてまして、これがなんとも。
−−−−−−−−−−−−
前作品を見たときは劇場で一回だけ。
みおとしたものがありました。
クラリッサの部屋には、リチャード(前の恋人)の写真が。
彼女はサリー(今の事実婚の相手。同性婚だけど)と暮らしてるのに。
そうか。
そんなことしていいのか。
してもいいんだ。
−−−−−−−−−−−−−−
この話は、私にはクラリッサの話なんですね。
カニンガムも最初はクラリッサだけ書こうとしてたらしい。
マイケルカニンガムいわく、最初は「現代のダロウェイ夫人」を書こうと思った。
でも、もうすでにダロウェイ夫人はあるのに、なにゆえそこにむだな屋上屋を重ねる?
やめようかと思ったとき、3人の女が浮かんだ。
ダロウェイ夫人、ウルフ、そのむこうに、母だった。
「なんでお袋がここに?」
そのとき決めたと。
お袋を書き込もう。それが、ジュリアン・ムーア扮するブラウン夫人だったと。
この3人は、作者、読者(ブラウン夫人)、登場人物(クラリッサ)なのだと。
そして登場人物の、クラリッサ。
こればかり読み返していました。
カニンガムいわく「クラリッサはあまり胸は大きくない」
「クラリッサは余りサリーとセックスしない」
そうだろうなあ。
サリーは、だから映画では「エクス」と自分を表現する。
一緒に住んでいるのに。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
まだ再読途中だけど。
クラリッサも、リチャードも、過去の支配の中で生きてます。
18,19歳の若い時代の恋と、その失敗の記憶の中で。
そうか、そんなことしてもいいのか。
いいんだ。
しては行けないように思ったから、クラリッサのように、
悲しむことを途中で切り上げて、現世の中に生きるように
しむけてきました。
クラリッサが、恋の終わりに、へんてこな上着を買ったように。
そうして自分の興味関心を、失敗の痛手から、日常の些事にむけたように。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そのくせ彼らはひきずっているし、支配されている。
十分に痛まなかったからかも知れませんし、
そこに耽溺するのが嗜癖になってるだけかも知れません。
痛みの感じ方の方法が行けなかったのかも知れません。
またしばらくは、きわめて個人的な記憶を玩弄して暮らすかな。。
-------------------------------------------------
YAHOO映画でレビューを見たり。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id240843/rid37/p1/s0/c9/
で、若い男性がこんな風に描いてました。
−−はるか昔の楽しかった思い出にしがみつきながら、エイズになってしまった恋人につくし続ける女性。
誰にも共感できないまま映画を観てて、あの娘がいった
「はるか昔の事でしょ」
ってセリフに初めてやっとつっこんだかって思いました。
エイズの男性のとった行動も共感できます。
俺もそうしたかもしれませんね。
はるか昔、俺がモーニング娘。を好きだったころ「Memory 青春の光」って歌があったけど、その中の歌詞をこの映画の女性たちにはプレゼントしたいですね。
「疲れきった 恋愛に」
「この部屋のカギをつけて返すわ」
まあ心がそこにないのなら、いつかは終止符を打たなきゃね。
ただ、この映画自体は否定しません。
この映画の境遇に近い立場にいる人にとっては、同じ地獄を共感できることによって救われることもあるでしょうから。
−−−
うーむ。ひとことで言われちゃいました。
おっしゃるとおり。
「心がそこにないのなら、いつかは終止符をうたなきゃね」
それがウルフの自殺だし、ブラウン夫人の出奔だし、リチャードの投身なのだよと。
そう読むにつけ、リチャードは冷酷だなと思うわけですよ。
こういう男を愛しちゃ行けない。
そこにしがみついちゃ、行けない。
彼女の、そして私の不幸は、自分が幸福と感じた瞬間が、そこにしかなかったことだな。
もてない君にとってのわずかなもて経験、のようなもので。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
もひとつ面白いレビュー発見。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview?ty=em&;id=240843&rid=1&p=5&s=0&c=42&or=1&recom=1&t=jLKTIB&sk=WxNku_CIucEv5mBMhzaPaWCBIKc-
−−−
メリル・ストリープ演じるクラリッサ(バイセクシャルのお節介おばはん)のうざさ加減には辟易しました。
友人のリチャードが機嫌悪そうに窓辺に座って外を見ているのに、その目の前にデカい花瓶をごそがさ置くところとか。ウギャー。それもおそらくあてつけなどではなく、彼を祝うパーティの準備のために良かれと思って必死でやっているだけという救いがたいウザさ。私なら耐えられません。
パーティの主役であるリチャード自身が、パーティを猛烈に嫌がっており何度も繰り返し断っているのにも関わらず、ゴリ押しで笑顔でどんどん準備を進めていく性格とか、うわあ、もう、殺人的にウザいです。
パーティ用の料理を作っているシーンで、生卵の白身と黄身を手のひらを使って分けるのに、両手を使って何度もベチャベチャとしつこく繰り返し触っているところとか。ギャー。もしあんなのに家中いじくりまわされたら私なら死にたくなります。
リチャードが自殺したのは、クラリッサの善意から来る強靭なウザさに殺されたようなものでは、と勝手に解釈しました。そういうお話ではないような気もしますけれど、私がリチャードだったらそうなると思ったので。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
たしかに。
うざいです彼女。
ついでに日本語訳の本も。
本は前に別の人の訳で買ったモノを、たぶん去年の夏かどこかで、捨ててしまったので。。
初回特典とかで、マイケルカニンガム(作者)、スティーブン・ダルドリー(監督)や脚本家、ウルフ研究者その他のインタビューがついてまして、これがなんとも。
−−−−−−−−−−−−
前作品を見たときは劇場で一回だけ。
みおとしたものがありました。
クラリッサの部屋には、リチャード(前の恋人)の写真が。
彼女はサリー(今の事実婚の相手。同性婚だけど)と暮らしてるのに。
そうか。
そんなことしていいのか。
してもいいんだ。
−−−−−−−−−−−−−−
この話は、私にはクラリッサの話なんですね。
カニンガムも最初はクラリッサだけ書こうとしてたらしい。
マイケルカニンガムいわく、最初は「現代のダロウェイ夫人」を書こうと思った。
でも、もうすでにダロウェイ夫人はあるのに、なにゆえそこにむだな屋上屋を重ねる?
やめようかと思ったとき、3人の女が浮かんだ。
ダロウェイ夫人、ウルフ、そのむこうに、母だった。
「なんでお袋がここに?」
そのとき決めたと。
お袋を書き込もう。それが、ジュリアン・ムーア扮するブラウン夫人だったと。
この3人は、作者、読者(ブラウン夫人)、登場人物(クラリッサ)なのだと。
そして登場人物の、クラリッサ。
こればかり読み返していました。
カニンガムいわく「クラリッサはあまり胸は大きくない」
「クラリッサは余りサリーとセックスしない」
そうだろうなあ。
サリーは、だから映画では「エクス」と自分を表現する。
一緒に住んでいるのに。
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まだ再読途中だけど。
クラリッサも、リチャードも、過去の支配の中で生きてます。
18,19歳の若い時代の恋と、その失敗の記憶の中で。
そうか、そんなことしてもいいのか。
いいんだ。
しては行けないように思ったから、クラリッサのように、
悲しむことを途中で切り上げて、現世の中に生きるように
しむけてきました。
クラリッサが、恋の終わりに、へんてこな上着を買ったように。
そうして自分の興味関心を、失敗の痛手から、日常の些事にむけたように。
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そのくせ彼らはひきずっているし、支配されている。
十分に痛まなかったからかも知れませんし、
そこに耽溺するのが嗜癖になってるだけかも知れません。
痛みの感じ方の方法が行けなかったのかも知れません。
またしばらくは、きわめて個人的な記憶を玩弄して暮らすかな。。
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YAHOO映画でレビューを見たり。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id240843/rid37/p1/s0/c9/
で、若い男性がこんな風に描いてました。
−−はるか昔の楽しかった思い出にしがみつきながら、エイズになってしまった恋人につくし続ける女性。
誰にも共感できないまま映画を観てて、あの娘がいった
「はるか昔の事でしょ」
ってセリフに初めてやっとつっこんだかって思いました。
エイズの男性のとった行動も共感できます。
俺もそうしたかもしれませんね。
はるか昔、俺がモーニング娘。を好きだったころ「Memory 青春の光」って歌があったけど、その中の歌詞をこの映画の女性たちにはプレゼントしたいですね。
「疲れきった 恋愛に」
「この部屋のカギをつけて返すわ」
まあ心がそこにないのなら、いつかは終止符を打たなきゃね。
ただ、この映画自体は否定しません。
この映画の境遇に近い立場にいる人にとっては、同じ地獄を共感できることによって救われることもあるでしょうから。
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うーむ。ひとことで言われちゃいました。
おっしゃるとおり。
「心がそこにないのなら、いつかは終止符をうたなきゃね」
それがウルフの自殺だし、ブラウン夫人の出奔だし、リチャードの投身なのだよと。
そう読むにつけ、リチャードは冷酷だなと思うわけですよ。
こういう男を愛しちゃ行けない。
そこにしがみついちゃ、行けない。
彼女の、そして私の不幸は、自分が幸福と感じた瞬間が、そこにしかなかったことだな。
もてない君にとってのわずかなもて経験、のようなもので。
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もひとつ面白いレビュー発見。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview?ty=em&;id=240843&rid=1&p=5&s=0&c=42&or=1&recom=1&t=jLKTIB&sk=WxNku_CIucEv5mBMhzaPaWCBIKc-
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メリル・ストリープ演じるクラリッサ(バイセクシャルのお節介おばはん)のうざさ加減には辟易しました。
友人のリチャードが機嫌悪そうに窓辺に座って外を見ているのに、その目の前にデカい花瓶をごそがさ置くところとか。ウギャー。それもおそらくあてつけなどではなく、彼を祝うパーティの準備のために良かれと思って必死でやっているだけという救いがたいウザさ。私なら耐えられません。
パーティの主役であるリチャード自身が、パーティを猛烈に嫌がっており何度も繰り返し断っているのにも関わらず、ゴリ押しで笑顔でどんどん準備を進めていく性格とか、うわあ、もう、殺人的にウザいです。
パーティ用の料理を作っているシーンで、生卵の白身と黄身を手のひらを使って分けるのに、両手を使って何度もベチャベチャとしつこく繰り返し触っているところとか。ギャー。もしあんなのに家中いじくりまわされたら私なら死にたくなります。
リチャードが自殺したのは、クラリッサの善意から来る強靭なウザさに殺されたようなものでは、と勝手に解釈しました。そういうお話ではないような気もしますけれど、私がリチャードだったらそうなると思ったので。
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たしかに。
うざいです彼女。
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