サックの一言でした。
http://wwws.warnerbros.co.jp/bucketlist/
全編通じてリアル感がない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
ジャック・ニコルソンは病気をおしての出演だったようだけど、たしかに体型や顔のたるみ方は、十分病人らしいのだけど、やることが元気すぎ。
モーガン・フリーマンはよっぽど抑制が利いてるが、あまりに健康そうな外観。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
死ぬ前にやっておきたいこととして、タージ・マハルだのピラミッドだの見たいというのは、あるんでしょうか?
ほんとうに死にゆく前、そんな観光地に行きたいと、ほんとうに願うのかいな。
いや、私よりもう少し上の世代なら、あるのかもしれんが、すでに40代の私にして、違和感ある。
私なら、死後にこんな場所にいたいと思えるような場所、みどりの野にふす羊のようであれる場所、に行きたいけどなあ。。。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大富豪と労働者が同じ部屋に、というのも変。
病院のオーナーになろうとしている大富豪が、みずから「個室を作らない。一室2床で統一する」と明言したから、その通りにしないと行けない、という設定なのだけど、ほんとに大富豪なら、となりのベッドに患者を入れない、くらいのことはするでしょう。
2床ある部屋にしても。
「それすら買収計画のためには、政治的にしない方がいい」という判断なのでしょう、というのは、善解すればできるのだけど、せりふでそこまで納得させるべきよね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
良き父良き夫であるモーガン・フリーマンが知り合ったばかりの男と旅に出たい理由が不明確。
いちおう、叫ばせているのですよ。「45年油にまみれて働いて、人生の最後に自分のための時間くらい欲しいんだ」って。
でもね。
これ、予告編でもでてきてるのだけど、普通に叫んでるもんで、えらい軽い。
これ、普遍のテーマになりうることだと思うんですよね。
家庭責任を果たして、「誰かのためのよき人」であり続けてきた人間が、特に大黒柱の男が、人生の最後に、「誰のためでもない自分用の人生」を生きたいと願うことは。
営々と働いてきたお父さん。愛人つくる金も、はまるべき悪癖もなく、ただ、家族のために黙もくと定年まで年老いたお父さん。
癌患者は、多くが「いい人」です。
他者への責任を人一倍背負い込んでぎりぎり自分をすり減らす人。
そういう人だったであろうフリーマン演じる労働者が、最後のひととき、女房に「わがまま」な自己主張をする。
夫の役目を、しばし降ろさせてくれ、と。
のはずなんだけど。。。
日本人から見ると、リアリティない。
そうさな。
わたしなら、彼に(叫ぶと言うより)声を裏返らせて「俺のための時間があったっていいだろ!」といわせたあと、がっくり肩をたれて、「頼むよ。。」と弱々しげに女房に懇願する。ただし女房をみず、つぶやくように。
そんな感じにするわね。
そこまでやって、「我慢の人生だったお父さんの、最後に出したほんの少しのわがまま」感がでる気がする。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
リアリティがないということでは、フリーマンはまだまし。
大富豪のニコルソンの方は、人生の後悔のたねは、自分の人生がなかったフリーマンとは反対に、自分だけの人生にしちゃったもんで、娘と断絶したこと。
人生の最後に娘と和解できた、という、お涙頂場面があるのだけど。
軽すぎ。
これも、そんなに彼のこだわりになってるなら、だまされて娘の家につれていかれたあと、あんなに大声でどならせちゃいかん。
自分の弱みに直面させられたんだから、彼は「攻撃を受けた側」なのですわ。
もっと混乱し、防衛的にならないと。
あるいはその場で攻撃的になっても、あとでうんと弱いシーンをつくらないと。
と、日本人の私は思うのだけど、米国人はアレでリアリティあるのかいな。
しかも、娘との断交がほんとうにこだわり、後悔になるにしては、理由が弱すぎる。
理由は、「娘の夫がバタラーで、娘はそれでも夫を愛していたのだが、父親として、裏の手を使って夫を娘から遠ざけた」ことを娘が許さなかった、というんだけど。。。
その娘が大人になれば、父の判断が正しかったときづくでしょう。
だから、和解はあまりにもありそうな展開。
つまらないんですよね。
もっと、父親としてやってはいけないこと、が原因でないと。
愛人を作って妻子を追い出した、とか。
性虐待を加えた、とか。あ、これじゃ和解しようがないか。
映画にするのは、というか、せりふで説明するだけだと非常に難しいけどね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
フリーマンの「旅に出たい理由」にリアリティが薄いもんで、帰ってきたときのありがたさも、半減する。
それでも、きちんとフリーマンは死んだので良かった。
ニコルソンは、死なないのですよ。
死んだことは、せりふで語られるだけ。
この辺が、リアリティを削ぐ大要因なのにねえ。
きちんと、死を描いて欲しかった。
そしたら、多少はリアルな病人の人生「見つけ」の映画になれた。
そういうのを、癌患者やってた私としては、見たかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
それにしても。
私からすればもっと弱く表現すべきを、怒鳴らせるというのが、米映画見てると時々鼻につきます。
前に見た「めぐりあう時間たち(ジ・アワーズ)」でのメリル・ストリープもそうだった。
http://www.jikantachi.com/home.php
確かに原作では人が泣くことになってる(原作と男女逆転してる)のだけど、あれじゃ、突拍子もない。
もっと、声を立てずに涙だけ出す、それからせきあえずおえつが漏れる、とかいうんだと、すごくしっくりくるのに。。。。
とおもうことたびたび。でございます。
これはこの国とかの国の、「泣き方」の違いかも知れぬ。
http://wwws.warnerbros.co.jp/bucketlist/
全編通じてリアル感がない。
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ジャック・ニコルソンは病気をおしての出演だったようだけど、たしかに体型や顔のたるみ方は、十分病人らしいのだけど、やることが元気すぎ。
モーガン・フリーマンはよっぽど抑制が利いてるが、あまりに健康そうな外観。
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死ぬ前にやっておきたいこととして、タージ・マハルだのピラミッドだの見たいというのは、あるんでしょうか?
ほんとうに死にゆく前、そんな観光地に行きたいと、ほんとうに願うのかいな。
いや、私よりもう少し上の世代なら、あるのかもしれんが、すでに40代の私にして、違和感ある。
私なら、死後にこんな場所にいたいと思えるような場所、みどりの野にふす羊のようであれる場所、に行きたいけどなあ。。。
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大富豪と労働者が同じ部屋に、というのも変。
病院のオーナーになろうとしている大富豪が、みずから「個室を作らない。一室2床で統一する」と明言したから、その通りにしないと行けない、という設定なのだけど、ほんとに大富豪なら、となりのベッドに患者を入れない、くらいのことはするでしょう。
2床ある部屋にしても。
「それすら買収計画のためには、政治的にしない方がいい」という判断なのでしょう、というのは、善解すればできるのだけど、せりふでそこまで納得させるべきよね。
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良き父良き夫であるモーガン・フリーマンが知り合ったばかりの男と旅に出たい理由が不明確。
いちおう、叫ばせているのですよ。「45年油にまみれて働いて、人生の最後に自分のための時間くらい欲しいんだ」って。
でもね。
これ、予告編でもでてきてるのだけど、普通に叫んでるもんで、えらい軽い。
これ、普遍のテーマになりうることだと思うんですよね。
家庭責任を果たして、「誰かのためのよき人」であり続けてきた人間が、特に大黒柱の男が、人生の最後に、「誰のためでもない自分用の人生」を生きたいと願うことは。
営々と働いてきたお父さん。愛人つくる金も、はまるべき悪癖もなく、ただ、家族のために黙もくと定年まで年老いたお父さん。
癌患者は、多くが「いい人」です。
他者への責任を人一倍背負い込んでぎりぎり自分をすり減らす人。
そういう人だったであろうフリーマン演じる労働者が、最後のひととき、女房に「わがまま」な自己主張をする。
夫の役目を、しばし降ろさせてくれ、と。
のはずなんだけど。。。
日本人から見ると、リアリティない。
そうさな。
わたしなら、彼に(叫ぶと言うより)声を裏返らせて「俺のための時間があったっていいだろ!」といわせたあと、がっくり肩をたれて、「頼むよ。。」と弱々しげに女房に懇願する。ただし女房をみず、つぶやくように。
そんな感じにするわね。
そこまでやって、「我慢の人生だったお父さんの、最後に出したほんの少しのわがまま」感がでる気がする。
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リアリティがないということでは、フリーマンはまだまし。
大富豪のニコルソンの方は、人生の後悔のたねは、自分の人生がなかったフリーマンとは反対に、自分だけの人生にしちゃったもんで、娘と断絶したこと。
人生の最後に娘と和解できた、という、お涙頂場面があるのだけど。
軽すぎ。
これも、そんなに彼のこだわりになってるなら、だまされて娘の家につれていかれたあと、あんなに大声でどならせちゃいかん。
自分の弱みに直面させられたんだから、彼は「攻撃を受けた側」なのですわ。
もっと混乱し、防衛的にならないと。
あるいはその場で攻撃的になっても、あとでうんと弱いシーンをつくらないと。
と、日本人の私は思うのだけど、米国人はアレでリアリティあるのかいな。
しかも、娘との断交がほんとうにこだわり、後悔になるにしては、理由が弱すぎる。
理由は、「娘の夫がバタラーで、娘はそれでも夫を愛していたのだが、父親として、裏の手を使って夫を娘から遠ざけた」ことを娘が許さなかった、というんだけど。。。
その娘が大人になれば、父の判断が正しかったときづくでしょう。
だから、和解はあまりにもありそうな展開。
つまらないんですよね。
もっと、父親としてやってはいけないこと、が原因でないと。
愛人を作って妻子を追い出した、とか。
性虐待を加えた、とか。あ、これじゃ和解しようがないか。
映画にするのは、というか、せりふで説明するだけだと非常に難しいけどね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
フリーマンの「旅に出たい理由」にリアリティが薄いもんで、帰ってきたときのありがたさも、半減する。
それでも、きちんとフリーマンは死んだので良かった。
ニコルソンは、死なないのですよ。
死んだことは、せりふで語られるだけ。
この辺が、リアリティを削ぐ大要因なのにねえ。
きちんと、死を描いて欲しかった。
そしたら、多少はリアルな病人の人生「見つけ」の映画になれた。
そういうのを、癌患者やってた私としては、見たかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
それにしても。
私からすればもっと弱く表現すべきを、怒鳴らせるというのが、米映画見てると時々鼻につきます。
前に見た「めぐりあう時間たち(ジ・アワーズ)」でのメリル・ストリープもそうだった。
http://www.jikantachi.com/home.php
確かに原作では人が泣くことになってる(原作と男女逆転してる)のだけど、あれじゃ、突拍子もない。
もっと、声を立てずに涙だけ出す、それからせきあえずおえつが漏れる、とかいうんだと、すごくしっくりくるのに。。。。
とおもうことたびたび。でございます。
これはこの国とかの国の、「泣き方」の違いかも知れぬ。
コメント
http://rogerebert.suntimes.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20080110/REVIEWS/801100301/1023
と断ったら誘ってくれた人にさんざん嫌な顔をされた友人関係破壊映画。
後になっても「いやあれは絶対面白かった」と駄目押しされるし。
でもねー、こないだまで癌治療で仕事を休んでいたエバートに
「病院関係者の皆さんへ:患者にこの映画を見せるのはお薦めできません。テレビに向かって溲瓶が乱れ飛ぶことになりますぞ」
「手術の後でヒマラヤに登りたいなんて思う患者はいません。リストの一番上に来るのは普通の飯が食えるようになりたいとかスッキリうんこがしたいとか午後も眠り込まずにいられるとか連れ合いに「愛してるよ」と言えるとか別にヤク中じゃなくて本当に痛いんだから鎮痛剤を出してくれと言ったら医者にすんなり信じてもらえるとかそういうことです。」
「アボットとコステロの映画みたいな書き割りのピラミッド」
なんて言われちゃダメでしょうよ。
でも感動した人にこれ言うと怒るんだよなー困ったもんだ。
これは大同意です。
それにしても、やっとコメント見つけた〜〜
そもそも、キモセラピーを受けた人間が、あんなに元気でいちゃいかん。
もっとへろへろになって、血色悪く、姿勢もおかしくなっていないと行けないのに、どちらも元気すぎだしね。。。
とにかく、現実をかけらもみせない、
「死」を見せない「死」の映画。
へんだわ〜〜