多様であること

2008年3月7日
某リンクいただいてる方の、細菌の話、インスパイアで。。。とりとめない話。

最近までみそだのしょうゆだのは「有機大豆」「有機小麦」
原料を選んで買っていたけれど、麹がなにかまでは気にしてませんでした。

が。こんなの読んで。。。。

天然こうじと化学こうじ
http://www.naturalharmony.co.jp/trust/harmonic-trust/syouhin-syoukai-miso.html

そういえば天然麹のみそ蔵は、100年以上もみそ樽を継続使用していたりするのですね。
蔵と、そこにある什器に常在する様々の菌が、とりもなおさずみその味の助け手であるから。
多種多様。

一方で、化学麹のみそ工場は、ステンレス漕、殺菌が徹底され、製品の麹は単種。
それも加熱して殺してから出荷。
0種0様、ですな。

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常在する多種多様の細菌を敵視して殺すことをよしとする価値観。

常在する虫のたぐいを敵視して、すみわけるよりも殲滅することを選ぶ生活価値観。

考えてみれば、このたぐいの価値観で、私は病気になったのだわね。
殺虫剤と、殺菌剤と、除草剤の中でこの病気になってるのだから。

たしかコクヨのデスクマット。
抗菌加工でアレルギー発症が続出、回収騒ぎになったのはついこの前。

抗菌剤も消臭剤も、すでに私の意思からでなく、私は共存できない体になってしまいました。

まあ私だけでなく、CS発症者70万、アトピー発症者はさらに多いそうだから、「弱い個体からやられていく」途上ですね、いまの日本は。

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閑話休題。

実に不思議なのだけど、
とくに中高年の方(すみません印象論ですが)に多い気がするのが、

なにか不都合が起こったとき、

「原因」を問題にしない人。

なぜこうなったかを問わない。

あれはどういうことなんだろう。じつもって不可思議。

先日福井に同行した奥様。
ご自分は糖尿なのに、「なぜ糖尿になったか」を問題にしない。
どうやって治すかだけ。

原爆が落とされたとき、なぜ原爆が落とされたか、を問題にしない。

癌になったとき、なぜ癌になったか、を問題にしない。

なぜ?

体調悪化の原因を真剣に考えてくれれば、
自分のいる環境のことや、自分のおかれた人間関係がいかに不健康な物かに、気づいてくれそうなものなのにな。

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話戻しまして。

生活領域の細菌や生物(まあ虫だな)の多様性(というか、存在自体)を敵視する生活を送る人と、

人の在り方、ライフスタイル、価値観その他に、単一性を求めるか、もっとひどい場合は単一性をアプリオリに前提する人と、

かさなる気がします。

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別にシンガポール人が理想だとは言いません。

10年前にシンガポールで見た学生芝居は、
「自分たちのダイバーシティの尊重」というのをまじめに
語ってました。
それは、教育のたまものですね。

この国は、前の首相さんなんかとくに、
多様性を嫌います。

時系列で見れば、だいぶましになってはいても。
よその国とくらべるとじつに異様に、浮かび上がります。

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