語れる友が欲しい

2008年3月1日
呑み会で払いを少なくしてもらったことがあるマイミクさんに、
福井から買ってきた酒を送りました。

返礼に彼が送ってきたのは、李白の
「月下独酌」
ただし、「花間 一壷の酒」からはじまり、
「永く無情の遊を結び,
相ひ 期して 雲漢はるかなり」

で終わるアレ(有名な方)ではなく、
私の知らなかった(少なくとも覚えてはいなかった)

「三月 咸陽城(かんようじょう)
千花 昼 錦の如し」
で始まり、

「酔後 天地を失い
兀然(ごつぜん)として孤り枕に就く
吾が身の有るを知らず
此の楽しみ 最も甚だしと為す」

で終わるものでした。

なんて粋なんでしょう。

李白好きな私と知って、返礼に言葉を尽くすのでなく、
李白の詩で返す。
しかも、私の知っているのでない、ちょっとマイナーな方で。
知悉した詩なら、ひねりがない。

しかも、飲んで酔ったという私に合わせ、
酔って一人寝る楽しみをうたう詩をもって返礼となす。

時を置かずこういうマネができるのは、実に「やまとごころ」
をわきまえた人のわざだなあと感心しました。

私にはできないものですので。。。

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彼は法学部出、法務部勤務という、文学とは縁のなさそうな人。
だからこそ、うーむと唸りました。

しかも、自分がその酒を開けるのに、有名な方の月下独酌の

「舉杯邀明月,
對影成三人」

杯を 擧げて  明月を 邀(むか)へ,
影に 對して  三人を 成す。

をもじって、
自分と、PCと、TV
で3人ですね、とおっしゃる。

なんといいますか、久しぶりに、そういう会話を楽しみました。
びよーんと、命ものびる心地。

こういう楽しみができる相手は、残念ながら身近にはいません。
気軽に源氏を語ったり、中也だ漱石だと言える友は、いません。

わたしはそういう会話を楽しみたいなあと、そういう会話のできる相手を渇仰しています。

その渇仰が、
まえの旅行を同行した、彼女への誤解(私の側の期待)にも
なっていたのでしょうね。

彼女が空海やイエスを他者として語ったもので、きっと間違えて彼女に恋したんでしょう。
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しかし、こんなことかくと、ディレッタンティズムにはまりこんでるかのようにとられそうですね。

というより。。。。

私の横には私の好きな歌だの詩だの物語だのがあって、
いつも彼らは、私の友なのですよ。

でも彼らとは、沈黙の中でしか会話できない。

あと一人くわわると、彼ら(中也だの漱石だの心平さんだのの言葉)との楽しい会話が、現実にできるんです。
しかも、予定調和な沈黙の中の会話でなく、こうやって驚かせながら、別に発展する会話が。

それがしたい。
けっきょくは、私の中のみんなと一緒に、つながれる友がほしい、のです。
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まあしかしかれは5月には試験。
彼なら通ると思うので、一気に別の世界にいくですな。

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