旅行の真相
2008年2月26日じつは今回の旅行で、去年からつきあってきた女性と
絶交しました。
これまでは伊東の断食場や宿屋で、私の方から惚れ込んだ
女性だったのですが。
いつのまにか「名字呼び捨て」から「○○ちゃん(ファーストネームちゃんづけ)」
に私への呼称が変わり。
いつのまにか、話の内容が文学や宗教への縦横無尽の散歩から、家族の卑小なエピソードに変わり。
私が彼女から、私の欲しいものをひきだせなくなった。
さらには、私の言葉尻から
「母親を恨むんじゃない」(あのー、恨むなど一言もいってないのですが)
「自分を不幸だと思うな」(あのー、体が難儀だといっただけなのですが)
これから母の近くに引っ越すというと、あれこれ聞いたあげく
「ならあなたが心配して口出すこと何もないじゃないの」
(いや、心配してるわけでも口出しするつもりも全くないのですが。むしろ、母に私の私生活を覗かれるのはいちばん心配で、本棚にカーテン着けようかと思ってるくらいなのですが)
あげくは
「夫への接し方が悪い。もっと謙虚にしろ」
あのー。
夫婦のこれまでの経緯があった上でこうなってるんですが。
夫のしたことを一部話したら、彼女も納得したようで
「それを母親に話したらどう言っていた?」
ときいてきた。
「実母になど話せる訳ないじゃないですか」
「どうして。母親は心配してるよ、話してごらん」
ときた。
私の母を何も知らずに良く言う。
母からの2次被害を避けるために言わないのに。
言ったらあなた、disasterですよ。
とは、私は彼女には言わなかった。
いろいろ話しても、「だって○○じゃない」と、コトのブライトサイドを持ち出して、語った内容を無駄にされる。
「ごりっぱなお父さんだったじゃない」
(あのー、父の何をご存じで?)
「母親というものは。。(自分の娘への思いで、涙にかきくれる)。。だから母を恨むようなことは間違っても言っては行けない、ばかものめ」
(何故我が母と自分と混同した決めつけで面罵されねばならぬ?ばかものめ)
「やりたいことがみつかったんだからよかったじゃない」
(やりたいことが見付かったら体が壊れた、という人生の難儀を語ってたんですが。みつかったら病床に座して放置して、それでよかったと思えとか?)
私は夫の件で「傷ついた」と言ったら、そのときに彼女は謝罪しました。
謝罪の直後にテンパーに来たらしく、「年長者に謝罪させるなど、なんて罪が重い。謝れ」
と来た。
あの。年少者に非礼を働いたら、謝罪するにはばかる事なかれ、というのが先賢の教えではないのか?
自らの非礼は謝罪せず恥じない、というので、年長者のメンツと権威はたもてるんですか?
こんなにめちゃくちゃなことになるとは思わなかった。
一方で。
酒に酔い、吐きまくる私を介抱したのは彼女でした。
電車で口論に及び、沈黙の後、他愛のない話題を振ってこようとしたのも彼女でした。(わたしはそういうごまかしが嫌い)
最後別れるとき、ハグしてきたのも彼女でした。
そのハグにいわく
「○○ちゃんは大丈夫だよね」
あのー、私の何をご心配なさってるんでしょうか。
私の人生はあなたの出る幕ではないのに。
「私は私で普通に暮らしていますので、なにもご心配されること亡きようにお願いします」
介抱の礼と謝罪をかさねて述べ、さらにこれだけ述べて、帰ってきました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
彼女と私の中には、なにか根本的な勘違いがあった気がします。
私は自分の人生をほんのかけら、話の流れの中で示しただけ。
それを彼女は、相談か何かと取った。
指針を受け取りたがっているのだと取った。
対等の相手としての会話では、(彼女の中では)はじめからなかったようです。
きっとそれは。
彼女の私への呼称が「○○ちゃん」に変わったころからの変化なのでしょう。
そして彼女は、人の人生を理解するには、あまりに狭い人生を生きてきた。
伊東の断食場に行く前は、夫と娘と母と姑、その眷属だけの世界で生きてきた。
いくら彼女が専業主婦を自負しようと、会う人の数、知る人生の数の少なさは、あらがいえない。
せめて読書から学べるならよかったのに、彼女の最近の読書は、週刊誌くらいのようだし。
さらには、人の暗がりを覗くことを拒む人生を選んできた。
ブライトサイドの押しつけは、それゆえなのでしょう。
彼女が、他人の人生への敬意をもつようには、まあまずはならないでしょう。
自分の人生観の押しつけをやめることも、ないでしょう。
その浅薄な人生観を。
もはやこれまで。
残念ですが、いた仕方ない。
そういう人に、なぜひっかかるやら。
絶交しました。
これまでは伊東の断食場や宿屋で、私の方から惚れ込んだ
女性だったのですが。
いつのまにか「名字呼び捨て」から「○○ちゃん(ファーストネームちゃんづけ)」
に私への呼称が変わり。
いつのまにか、話の内容が文学や宗教への縦横無尽の散歩から、家族の卑小なエピソードに変わり。
私が彼女から、私の欲しいものをひきだせなくなった。
さらには、私の言葉尻から
「母親を恨むんじゃない」(あのー、恨むなど一言もいってないのですが)
「自分を不幸だと思うな」(あのー、体が難儀だといっただけなのですが)
これから母の近くに引っ越すというと、あれこれ聞いたあげく
「ならあなたが心配して口出すこと何もないじゃないの」
(いや、心配してるわけでも口出しするつもりも全くないのですが。むしろ、母に私の私生活を覗かれるのはいちばん心配で、本棚にカーテン着けようかと思ってるくらいなのですが)
あげくは
「夫への接し方が悪い。もっと謙虚にしろ」
あのー。
夫婦のこれまでの経緯があった上でこうなってるんですが。
夫のしたことを一部話したら、彼女も納得したようで
「それを母親に話したらどう言っていた?」
ときいてきた。
「実母になど話せる訳ないじゃないですか」
「どうして。母親は心配してるよ、話してごらん」
ときた。
私の母を何も知らずに良く言う。
母からの2次被害を避けるために言わないのに。
言ったらあなた、disasterですよ。
とは、私は彼女には言わなかった。
いろいろ話しても、「だって○○じゃない」と、コトのブライトサイドを持ち出して、語った内容を無駄にされる。
「ごりっぱなお父さんだったじゃない」
(あのー、父の何をご存じで?)
「母親というものは。。(自分の娘への思いで、涙にかきくれる)。。だから母を恨むようなことは間違っても言っては行けない、ばかものめ」
(何故我が母と自分と混同した決めつけで面罵されねばならぬ?ばかものめ)
「やりたいことがみつかったんだからよかったじゃない」
(やりたいことが見付かったら体が壊れた、という人生の難儀を語ってたんですが。みつかったら病床に座して放置して、それでよかったと思えとか?)
私は夫の件で「傷ついた」と言ったら、そのときに彼女は謝罪しました。
謝罪の直後にテンパーに来たらしく、「年長者に謝罪させるなど、なんて罪が重い。謝れ」
と来た。
あの。年少者に非礼を働いたら、謝罪するにはばかる事なかれ、というのが先賢の教えではないのか?
自らの非礼は謝罪せず恥じない、というので、年長者のメンツと権威はたもてるんですか?
こんなにめちゃくちゃなことになるとは思わなかった。
一方で。
酒に酔い、吐きまくる私を介抱したのは彼女でした。
電車で口論に及び、沈黙の後、他愛のない話題を振ってこようとしたのも彼女でした。(わたしはそういうごまかしが嫌い)
最後別れるとき、ハグしてきたのも彼女でした。
そのハグにいわく
「○○ちゃんは大丈夫だよね」
あのー、私の何をご心配なさってるんでしょうか。
私の人生はあなたの出る幕ではないのに。
「私は私で普通に暮らしていますので、なにもご心配されること亡きようにお願いします」
介抱の礼と謝罪をかさねて述べ、さらにこれだけ述べて、帰ってきました。
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彼女と私の中には、なにか根本的な勘違いがあった気がします。
私は自分の人生をほんのかけら、話の流れの中で示しただけ。
それを彼女は、相談か何かと取った。
指針を受け取りたがっているのだと取った。
対等の相手としての会話では、(彼女の中では)はじめからなかったようです。
きっとそれは。
彼女の私への呼称が「○○ちゃん」に変わったころからの変化なのでしょう。
そして彼女は、人の人生を理解するには、あまりに狭い人生を生きてきた。
伊東の断食場に行く前は、夫と娘と母と姑、その眷属だけの世界で生きてきた。
いくら彼女が専業主婦を自負しようと、会う人の数、知る人生の数の少なさは、あらがいえない。
せめて読書から学べるならよかったのに、彼女の最近の読書は、週刊誌くらいのようだし。
さらには、人の暗がりを覗くことを拒む人生を選んできた。
ブライトサイドの押しつけは、それゆえなのでしょう。
彼女が、他人の人生への敬意をもつようには、まあまずはならないでしょう。
自分の人生観の押しつけをやめることも、ないでしょう。
その浅薄な人生観を。
もはやこれまで。
残念ですが、いた仕方ない。
そういう人に、なぜひっかかるやら。
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