友人の結婚式でした

2007年10月8日
元クラスの子が、一発合格を機に、教会のお友達と結婚。

教会で式を挙げました。
とてもいい式でした。

そのあとパーティだったのだけど、わたしは
CS悪化予防のため、と称して(称して、といっても
口実なわけじゃなくて、実際晴れ着の防虫剤と有機溶剤、香水と整髪料は、避けないとやばいのだけど)、式だけで
帰ってきました。

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感慨深すぎです。

ふたりとも熱心なクリスチャンなので、牧師さんは
深いつきあいのある方、なのだそうで、とくに新郎とは
11年の仲。
彼をキリスト教徒に改宗させた人だそうで。
新郎はイラン人。
イランでは国法で、ムスリムからキリスト教徒への
改宗は禁止なのだそうで、彼は改宗後、難民ビザで
日本に居留しているのだそうな。
国を捨ててキリストを取ったんですね。

彼女は、まえまえから
「わたしはおなじ信仰を持つ人としか、恋愛はしないだろうな」といってたのですが、そのとおりになりました。

それもそのはずなんでしょうね。
彼らの恋愛感情には、相手の人生への尊敬や、神を通じての魂への接近、というのが芯にあるから。

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自分も結婚式はキリスト教式だったんですよ。

でも理由は、「着物が似合わないから」

なんちゃってな結婚式には、なんの意味も、重みもありませんでした。

それにくらべ彼らの結婚は、じつに真摯で、牧師さんも言ってたが「シリアス」で、かつ暖かかったです。

結婚は契約で、新郎も新婦も、たがいに義務を負っている。
愛し、いつくしみ、困難なときもそばにいて助け「なければいけない」。
「結婚した者には肉の楽しみも与えられるが、それは夫婦の間だけに許されるのであって、夫婦の間においては、その喜びはこのうえない神からのギフトだ」と。
「互いに相手だけを愛し、相手だけを見つめなさい、そうすればその家庭はこの上ない居心地のいい場所となって、結婚の幸福は最大になるから」と。

そしてこの義務に違反した者は、「生け贄の動物のような目に遭うのだ」と。だからシリアスなのだよ、と。

信仰を持つ者同士での結婚は、ずっと平坦で、実り多い道だろうなと思います。

人生の知恵を、宗教からまなぶことができてる。

彼女は親がクリスチャンで、親が彼女を愛した結果、彼女はすなおに、キリストをみずからの導き手として、幼い頃にうけいれたそうです。

その親御さん、はじめてみたけど、ホントにいい顔。
こういう顔のご夫婦のお嬢さんが、こういう女性になるのね、と。
普段から親御さんとの仲のいいのを伝え聞いてたけど、
こういうのが、本来の普通の家庭、なんだろうなあ。
その中に身を置いたことがないので、実感はないのだけど。

それと、経済的な安定も大事だなあ。
新婦の幼い頃の写真は、バレエの発表会やピアノの発表会、飼い犬、小さい頃から戸建ての家。
高校時代はサキソフォーン。
経済的にもお嬢さん。

我が幼少時代は、生活費の工面のことで、酒を飲んだ親夫婦がいさかう声ばかり。

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だらだらと書いてますが、

人生の知恵を伝えてくれる親は、あらまほしきかな。
そんな親の庇護の元に育って、生きる知恵と賢さにみちた
若い女性が、みずからの配偶をみつけた。
そういう姿をみてきた、今日の日でした。

私の親は私を育てなかった。
たしかに衣食住は与えたから、体は育った。
が、知恵や賢さや、愛を備えることはできなかった。
魂はなにも、育たなかった。

だから、今自分は、自分を一所懸命、育てないとならないのだわ。

だから、子供なんか、育ててる暇なかったんだわ。

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あ、とうぜんですが、友人、は、神田うのじゃありまへんです。
同じ日だったのね。

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