お盆終わって

2007年8月20日
お盆終わりました。

なかば思い出話を。

祖母は生前
「マサオさん(祖父の名)は戦争につれていかれて殺された」
「マサオさんを兵隊に取った天皇陛下なんかだいっきらい」
「靖国なんかいかない」

マサオさんはどん百姓の9男坊で、近くの似たような百姓家の3女に婿入りしました。3女は少々の田畑をわけてもらって分家して。
まったくのどん百姓で親子3人、つつましく暮らすくらいの経済的基盤を作って、シアワセに暮らすはずが。

娘がうまれてまもないころに兵隊にとられて上海に輸送され、日中戦争開戦後まもない上海で戦病死。

まだ30なるかならずかの頃でした。
兵士として徴用されず、そのままの人生をまっとうできれば、たくさんの子や孫に囲まれていたじいちゃんとして、生をおえたでしょうね。

去年のお盆は、親戚のおじさんから本家の方の跡取り息子の最後を聞かされました。
といっても、彼は沖縄戦で、どこのいつの戦いで死んだかもわからないので、公報ではみんな4月26日戦死、だったとのこと。

彼もまた、戦争がなければたくさんの孫に囲まれ、いいおじいちゃんになってたでしょう。

彼らは死ぬとき、国のために自分は死んでいくのだと思ったかしら。

そうではないでしょう。

戦記をよめば、いまわの際の兵士の多くが、「お母さん」と呼んで死んでいったそうな。

軍国教育をきっちり刷り込んだ士官以上くらいじゃないか?
自分が「国を守る」だの、死が「国の礎になる」だのの美辞麗句を自らのモノとできたのは。

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彼らを英霊とたたえなければ、彼らの死は犬死にということになってしまう、という人がいる。

けれど、犬死にってなんだ?

彼らの奮闘と死が、戦争を勝利に導かなかったという点では、彼らの死は無駄だった、といいうるのかもしれない。あの戦争は勝利が目的であったのだから。
戦争に負けた以上、その死が活かされなかった、という意味では、犬死にだ、という前提が、彼らの頭の中にあるのでしょうか。

彼らの犠牲があったからこそ、個人の尊重と平和主義の憲法を、日本人が喜んで受け入れられたのかも知れない。
その点では、彼らの死は、国の礎たり得たのかも知れない。

でもその意味で国の礎だというなら。
彼らを顕彰するのは、靖国でなくていいはずだわ。

犠牲者としての価値というなら、多くの民間人と等価なのだから。

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英霊かどうかはともかく。

お盆になれば、「兵隊に取られて死んだ」先祖は、子孫によって祀られ、思い出され、追悼される。

それは英霊としてではなく、祖霊として。

祖母は一度は靖国ツアーに参加したそうだが、自分からボランタリに行こうとしたことはない。

一貫して天皇を嫌い、憎んでいた。
そりゃそうだ。
自分の夫と、ちいさなシアワセを全うできたはずの未来を、すべて根こそぎ奪った男、なのだから。

さて、どっちのnotionを私は継承すべきか。

祖父の死は、いくら肯定的な評価をこじつけようとしても、
やはり本音を言えば、死なないで人生を全うしてくれていた方が、なんぼも家族のためになった。

少なくとも、私の母が父を持ったことは、彼女が自分の娘たち(私と妹だ)に後々嫉妬して、つらくあたることがなかったろう分だけでも、大いに役に立ってくれたろう。

(彼女は、「父のいる娘」に腹を立てたのだ、娘が父から愛情をもらったら、許せなかったのだ。自分の喪失を思い知るから)

祖父の早すぎる死は、そういう形で、私の人生にも大きな負の影響をもたらしている。

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そういう家族単位の損失を、各戦死者合計したら、「英霊」としての肯定的評価をはるかにうわまわるだけの、負の評価、価値の損失があったことがわかるだろう。

それを見ないモノには、戦後はない。
損失を損失と認識したところからしか、リアルな人生・歴史ははじまらない。

自分の喪失を、思い知れ。

そこからだ。と、誰にいうでなく。
自分のなかのあれこれに響かせて、思います。

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