シゲさんんのところで「基礎が大事」と読んだから書くのではないけどというか、書くのだけど。
憲法が苦手。
どうやっても理解できない。
とくにあしべ先生が。
憲法の基礎ってなんだろう。
うーん。
というより、憲法が基礎なんだろうなあ。
早い話が、西欧近代の、「自然法思想」とか「社会契約」とか、「法の支配」とか、「侵害留保」とかが、教科書とかの2時情報でしか読んでないから、なのか。。。
帝国憲法もちゃんと読んでないし。。
それともスタンスの問題なのかな。
ほかのきょうかでは、(判例)なことかけば正解なのに、憲法は判例を批判するのが正解だし。その「批判」の部分が、これまたこちらからすると批判したくなるようなものばかりだし。
というか、こんなことかいてないでやれ、ということか。。。。。
憲法が苦手。
どうやっても理解できない。
とくにあしべ先生が。
憲法の基礎ってなんだろう。
うーん。
というより、憲法が基礎なんだろうなあ。
早い話が、西欧近代の、「自然法思想」とか「社会契約」とか、「法の支配」とか、「侵害留保」とかが、教科書とかの2時情報でしか読んでないから、なのか。。。
帝国憲法もちゃんと読んでないし。。
それともスタンスの問題なのかな。
ほかのきょうかでは、(判例)なことかけば正解なのに、憲法は判例を批判するのが正解だし。その「批判」の部分が、これまたこちらからすると批判したくなるようなものばかりだし。
というか、こんなことかいてないでやれ、ということか。。。。。
コメント
>こんなことかいてないでやれ、ということか。。。。。
これ、よーわかるわー。
つい「客観的に考えると…」とか自己省察だけして、実際の勉強・練習が進まない。僕も英語に関しては、まったくそれです。
最近は、一日にどの程度の時間を勉強に使ったかをメモするようにし始めました。でないと絶対量が足りない事を意識できないんですよ。
あー、しんど。とは思うのですが。
とにかくあらゆるものを読んでるウチに、細部と枠組みと、どちらもそれぞれ肉が付き、しっかりしてくる、というのを、民法では経験しました。
それも、絶対量あってのこと。
勉強法がなんとか、じゃないんですよね。
憲法では、たぶん、私がその絨毯爆撃的勉強を、したくないと感じてる、ってことなんでしょうね。
早い話が、嫌ってる。んだろうな〜。
訴訟法は、そんなにあれこれ読まなくても(絶対量の蓄積が無くても)つーかーでわかるものがあったんですが。。。
それが、センスのあるなし、ってことなのかも。
センスがないときは、絶対量を増やすしかない。
ってことですね。