結局の所、「客観的」な見方というのは、
よっぽどのまれな境遇と経歴を持った人か、
ものすごい克己心で自己のスタンスを捨象した人くらいしか、
できないのかもしれない。
わたしは被害者サイドの人間だ、ということなんでしょうね。
(はげしく中略)
多くの人たちが、そういう妄想をもった人がいたら、
ただ、ひいて関わらないようにするのは、
じつに「健康」なことだと思います。
そういう人とエンタングルするのは、時に
とても危険だし、とても疲労することになるから。
私はその「冷淡さ」を学ぶのが遅すぎたなと思ってます。
「健康」であるということは、弱い人に冷淡であること、
でもあるなあというのも、40年生きて、人を見て、
感じたことでもあります。
よっぽどのまれな境遇と経歴を持った人か、
ものすごい克己心で自己のスタンスを捨象した人くらいしか、
できないのかもしれない。
わたしは被害者サイドの人間だ、ということなんでしょうね。
(はげしく中略)
多くの人たちが、そういう妄想をもった人がいたら、
ただ、ひいて関わらないようにするのは、
じつに「健康」なことだと思います。
そういう人とエンタングルするのは、時に
とても危険だし、とても疲労することになるから。
私はその「冷淡さ」を学ぶのが遅すぎたなと思ってます。
「健康」であるということは、弱い人に冷淡であること、
でもあるなあというのも、40年生きて、人を見て、
感じたことでもあります。
コメント
たった今、私自身の問題で「関係妄想」について調べています。
だから、どん太さんのブログを読んで、びっくりしました。
わー、「関係妄想」だ、「関係妄想」について語っている
人がいる、と。(単なるミーハー精神です)
ヴァージニア工科大学の犯人と地球4周分ぐらい関係の遠い
私ですが、
あの事件が起きてから、怖くて怖くて、夜は震えが止まりません。
犯人を“狂っている”“同じアジア人としていい迷惑だ”
“孤独なのはお前の問題”と批難する世論というものに怯えています。
まるで、自分が批難されているような錯覚に陥り、
大袈裟に理論が飛躍して、「やっぱり私は生きる価値がないんだ。早く消えるべきだ」とまで考え始めます。
しかし、しかし、これって、関係妄想ってヤツなんじゃないかと。
犯人と私は「=」じゃない。にもかかわらず、自分が批難されていると錯覚している。
妄想というのは、「妄想すること」で、自分の一番大切な核が破壊されるのを防いでいるそうです(二重人格と似ていますね。別人格を作ることで、自分を守る)。
でも、妄想にしがみついても本当のケアにはならないから。「関係妄想」も「被害妄想」も卒業しなくてはいけないのですね。
ダラダラとすみません。
どん太さんのブログは、いつも勉強になります。
>「健康」であるということは、弱い人に冷淡であること、
私もそれを感じます。健全な人間ほど、弱い人間をかぎわけ、冷淡に扱う。弱いものを蹴っていた人間ほど、無難に成人してすぐに結婚して一児をもうけて良き親になったりします。それは、幼い頃から素直に生きてきたからなんでしょうね。
問題は、弱い人間は健常者を相手にどう生き抜くか?
おお、そんな「妄想」が入ってしまうのですね!
わたしにゃー、それが関係妄想なのかどうなのか、わからないけど、私にも昔、自分が無価値だから、存在する意味ないな〜と思ってた頃があります。
で、法律の勉強してよかったのは、大久保清とか、詫間守とか、どうしようもない人間のくず、かつ害悪そのもののような人間(無価値と言うより、積極的に負の価値を背負った人間)までにも、この国の法は下にも置かぬ扱いをして、手厚く人権を保障してやってるというのがわかったことだす。
あれみて、「こんな連中がここまで保護される価値があるというのが国家の認識なら、私なんか全然いていいじゃん!」
と。
働いてたとき、無能だと給料もらう価値ないから、首になるかも。首になるくらいならやめたほうが、、、、とか考えてたんですが、労働法習ったら、どんなくずでも(といっていいな)一度雇ってしまったら、企業の負けなんですね。
雇い続けないと行けない。
わーわー、私ってなんでこんなに自分が安いと思ってたの〜、状態でした。
周り(私の場合は親が吠えまくった)が吠えようが、法治国家のこのニッポン、最後は法の保護が「わしにも」あるんやんけ。と。
世間のどんな無価値な人間でも、生きることをじゃまされないだけの居場所の正当性があるのに、それを感じられないで生きてきたわしのような人間、きっといっぱいいるんだろうなと。ああもったいない。ああああ、もったいないです。
と、すみません、あんまり脈絡ないレスで。
みかんさんのレスの一部にだけ反応して、また自分の繰り言が出てしまいました。。
労働法習ですか。(初めて知った)。
法律の角度から、世の中を見つめなおすとは、
思いもつかなかった。
またテーマがそれるかもしれませんが、
たとえ自分が本当にダメ人間だとしても、
税金(所得税、市県民税、健康保険、国民年金)を払っているのだから、
税制度からみれば価値ある人間なのかも。
気づかぬところで、守られているのかもしれないし。
帳簿を洗うように、自分の立ち位置も洗ってみると、
モヤモヤがすっとぶかもしれませんね。ふん、ふん。
わたしはいかに税金をのがれようかばかり考えてます。
考えたりないで払っちゃってる場面多いけど。