「先生と私」
2007年3月31日断食は、12月、1月、3月と3回行った訳なんだけど。
1月と今回の3月は、じつはあちらであった奥さん(58歳)の
再来の日に会わせて予約しました。
で、1月、今回とも、彼女との会話を楽しんだんですが。
他のおばさま方がお金持ちのおばさま方の会話であるのにくらべて、彼女は気を許すとつい、彼女の内的世界をばんばん披瀝するので、ガードが甘いというか、あまりに面白いというか。
他のおばさんがいるときは、娘の話だの、古事記や古今や俳諧の話なんですが。
ふたりだけだと、ついつい、神や仏の話にまで及びます。
そしてひとしきり、神を語り仏を語り、僧を語ったあとに、ふと彼女、
いいました。
「本当ならこんな話は他人様にはしないんだけど、今回は聞いてくれるおじょうちゃん(私だ)がいるのでね」
そういいつつも、
「一介の主婦がなにを僭越なことをべらべらと言い散らしているか、という程度のことだが」
と下げる。
さらには彼女、
「私だったら、こうやって語ってくれる相手に、質問をあびせつづけて、相手を怒らすか、黙らすか、論破するまでいってしまうだろう」
とも。
きわめつけに
「私も興味がある人間にはとことんついて行くが、底がみえると急に切って捨てるくせがあってね」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
きいてて私、ああいま私は、「こころ」の「私」のポジションにいるのだなあと思いました。
彼女の気持ちは、「先生」が「私」にいだいたであろうものでしょうね。
「底が見えると切って捨てる」彼女は、私が彼女をそうすることも、意識の上か下かでおそれたでしょう。
それゆえの表白でしょう。
そこまで考えて、ずいぶんひさしぶりに、甘美な思いをいたしました。
プラトン的な恋とは、こんなもんでしょう。
アイダホ州の友人が、「こころ」はホモ小説だとのたまったことがあるが、「先生」と「私」のそれは、プラトンと少年のそれかも知れませんね。
なにしろ出会いが半裸でのゆきかいですから。
奥さんと私は、風呂場で全裸のつきあいだ(関係ないか)。
「先生」と「K」のそれは、また別の同性愛だろうけど。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
彼女は自分の「神」観を、彼女が信頼していた親友に語ったことがあるそうな。
親友はクリスチャンであったので、涙を流し、彼女を「悪魔」といって去っていってしまったそうな。
私が、「それはどういうものですか」
と聞いても、首をふって答えてはくれなんだ。
だから、つづきがあるんですね。
まだ底は見えません。
−−−−−−−−−−−
あ、「先生」は死にましたが、彼女は死にません。
死なないように、生を得るために、奮闘努力、格闘の日々を送っている病人です。
1月と今回の3月は、じつはあちらであった奥さん(58歳)の
再来の日に会わせて予約しました。
で、1月、今回とも、彼女との会話を楽しんだんですが。
他のおばさま方がお金持ちのおばさま方の会話であるのにくらべて、彼女は気を許すとつい、彼女の内的世界をばんばん披瀝するので、ガードが甘いというか、あまりに面白いというか。
他のおばさんがいるときは、娘の話だの、古事記や古今や俳諧の話なんですが。
ふたりだけだと、ついつい、神や仏の話にまで及びます。
そしてひとしきり、神を語り仏を語り、僧を語ったあとに、ふと彼女、
いいました。
「本当ならこんな話は他人様にはしないんだけど、今回は聞いてくれるおじょうちゃん(私だ)がいるのでね」
そういいつつも、
「一介の主婦がなにを僭越なことをべらべらと言い散らしているか、という程度のことだが」
と下げる。
さらには彼女、
「私だったら、こうやって語ってくれる相手に、質問をあびせつづけて、相手を怒らすか、黙らすか、論破するまでいってしまうだろう」
とも。
きわめつけに
「私も興味がある人間にはとことんついて行くが、底がみえると急に切って捨てるくせがあってね」
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きいてて私、ああいま私は、「こころ」の「私」のポジションにいるのだなあと思いました。
彼女の気持ちは、「先生」が「私」にいだいたであろうものでしょうね。
「底が見えると切って捨てる」彼女は、私が彼女をそうすることも、意識の上か下かでおそれたでしょう。
それゆえの表白でしょう。
そこまで考えて、ずいぶんひさしぶりに、甘美な思いをいたしました。
プラトン的な恋とは、こんなもんでしょう。
アイダホ州の友人が、「こころ」はホモ小説だとのたまったことがあるが、「先生」と「私」のそれは、プラトンと少年のそれかも知れませんね。
なにしろ出会いが半裸でのゆきかいですから。
奥さんと私は、風呂場で全裸のつきあいだ(関係ないか)。
「先生」と「K」のそれは、また別の同性愛だろうけど。
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彼女は自分の「神」観を、彼女が信頼していた親友に語ったことがあるそうな。
親友はクリスチャンであったので、涙を流し、彼女を「悪魔」といって去っていってしまったそうな。
私が、「それはどういうものですか」
と聞いても、首をふって答えてはくれなんだ。
だから、つづきがあるんですね。
まだ底は見えません。
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あ、「先生」は死にましたが、彼女は死にません。
死なないように、生を得るために、奮闘努力、格闘の日々を送っている病人です。
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