マイミクにさせてもらってるおにいちゃん。

私の3つ下で大台のせをしてるんだが、
若いお子さんにかてきょしてる。

私は「この年でかてきょ行ったら、お子さんががっかりするじゃろう」とか「ばかにするじゃろう」「みじめじゃろう」とかあれこれ考えて、かてきょもしなくなってました。

彼が、下の日記によせてくれたコメント。

「知ってる人間があちらこちらのローやら学部やらに助教授やら教授でいますよね。まあ、人生そういうものかと…。 」

わかってる人は、というか、大人な人は、そんなのとうにわかってるし、腑に落ちてるし、納得がいってるし、自分の人生と折り合いがついてるし、おりあいがついてるだけでなく、仲良くなってる(そういう人生とね)。

彼みたいな人が、私のお手本だわね。
お・と・な、って意味では。

とても小さな自分と、とてもできのわるい自分と、
おりあうことが苦手だった自分がたりないもの。

てほんにしたいもの。
そういうものを持ってる人と知り合いになって、
さらりさらさらりと学べる。

いいなあ。
ねっと。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そして、こうやってみると、私がしがみついていた
ささやかな「恰好」が、いかにもろくて、はたからみれば
いじましいものかが見えます。

このいじましさは、夫に対して私が非難し続けていた
エゴイズムとナスシシズムの悪あがきと、寸分違いません。

私のみじめったらしいナルシシズムが、私を人様から
遠ざけてたわけです。
かてきょのお子さんからも。
クラスメートからも。
年の近い、先生からも。

もっともっと私はぶざまになっていい。
そのほうがいい。

そうしないと、夫と同じ地平でどんぐりの背比べをする人生で終わってしまう。

急がないと。

コメント

べらじお
2007年3月3日3:42

ぶざまになれる人は、強いと思います。かっこつけてるほうが、ちっぽけだと私も思います。
自分が歩いて来た道について、他人に言い訳する必要はないですよね。自分の道を、どうどうと歩けばいい。この道を歩けるのは、自分だけなのだから。

どん太
どん太
2007年3月3日11:11

ぶざまになれる、というのが、ある境遇の人には難しいんですよ。
ぶざまであると親から攻撃をうけた人たちには。
正確には、かっこいいときだけ、親から注意や愛情をもらえるという、愛情飢餓で育った人も含めて。

私の夫もそうですし、私もそう。
だから、意図して、努力して、ぶざまでも自分は安全なんだというのを、学んで行かなくちゃならない。
いま、その途上なんです。

べらじお
2007年3月3日15:50

そういうところにも親との関係の影響が出るとは、思いつきませんでした。たしかに、優秀であることが親に愛される条件という環境に育った場合、人からの評価を気にしないで堂々と生きていくのは難しいのでしょうね。

どん太
どん太
2007年3月3日19:40

親からのマルトリートメントの影響は、全人格に及びますから。
それに気づいて自力で脱却していくのが、いわゆるACの回復、でもあるんだと思います。

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