マイミクにいちゃんからのコメント
2007年3月2日コメント (4)マイミクにさせてもらってるおにいちゃん。
私の3つ下で大台のせをしてるんだが、
若いお子さんにかてきょしてる。
私は「この年でかてきょ行ったら、お子さんががっかりするじゃろう」とか「ばかにするじゃろう」「みじめじゃろう」とかあれこれ考えて、かてきょもしなくなってました。
彼が、下の日記によせてくれたコメント。
「知ってる人間があちらこちらのローやら学部やらに助教授やら教授でいますよね。まあ、人生そういうものかと…。 」
わかってる人は、というか、大人な人は、そんなのとうにわかってるし、腑に落ちてるし、納得がいってるし、自分の人生と折り合いがついてるし、おりあいがついてるだけでなく、仲良くなってる(そういう人生とね)。
彼みたいな人が、私のお手本だわね。
お・と・な、って意味では。
とても小さな自分と、とてもできのわるい自分と、
おりあうことが苦手だった自分がたりないもの。
てほんにしたいもの。
そういうものを持ってる人と知り合いになって、
さらりさらさらりと学べる。
いいなあ。
ねっと。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そして、こうやってみると、私がしがみついていた
ささやかな「恰好」が、いかにもろくて、はたからみれば
いじましいものかが見えます。
このいじましさは、夫に対して私が非難し続けていた
エゴイズムとナスシシズムの悪あがきと、寸分違いません。
私のみじめったらしいナルシシズムが、私を人様から
遠ざけてたわけです。
かてきょのお子さんからも。
クラスメートからも。
年の近い、先生からも。
もっともっと私はぶざまになっていい。
そのほうがいい。
そうしないと、夫と同じ地平でどんぐりの背比べをする人生で終わってしまう。
急がないと。
私の3つ下で大台のせをしてるんだが、
若いお子さんにかてきょしてる。
私は「この年でかてきょ行ったら、お子さんががっかりするじゃろう」とか「ばかにするじゃろう」「みじめじゃろう」とかあれこれ考えて、かてきょもしなくなってました。
彼が、下の日記によせてくれたコメント。
「知ってる人間があちらこちらのローやら学部やらに助教授やら教授でいますよね。まあ、人生そういうものかと…。 」
わかってる人は、というか、大人な人は、そんなのとうにわかってるし、腑に落ちてるし、納得がいってるし、自分の人生と折り合いがついてるし、おりあいがついてるだけでなく、仲良くなってる(そういう人生とね)。
彼みたいな人が、私のお手本だわね。
お・と・な、って意味では。
とても小さな自分と、とてもできのわるい自分と、
おりあうことが苦手だった自分がたりないもの。
てほんにしたいもの。
そういうものを持ってる人と知り合いになって、
さらりさらさらりと学べる。
いいなあ。
ねっと。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そして、こうやってみると、私がしがみついていた
ささやかな「恰好」が、いかにもろくて、はたからみれば
いじましいものかが見えます。
このいじましさは、夫に対して私が非難し続けていた
エゴイズムとナスシシズムの悪あがきと、寸分違いません。
私のみじめったらしいナルシシズムが、私を人様から
遠ざけてたわけです。
かてきょのお子さんからも。
クラスメートからも。
年の近い、先生からも。
もっともっと私はぶざまになっていい。
そのほうがいい。
そうしないと、夫と同じ地平でどんぐりの背比べをする人生で終わってしまう。
急がないと。
コメント
自分が歩いて来た道について、他人に言い訳する必要はないですよね。自分の道を、どうどうと歩けばいい。この道を歩けるのは、自分だけなのだから。
ぶざまであると親から攻撃をうけた人たちには。
正確には、かっこいいときだけ、親から注意や愛情をもらえるという、愛情飢餓で育った人も含めて。
私の夫もそうですし、私もそう。
だから、意図して、努力して、ぶざまでも自分は安全なんだというのを、学んで行かなくちゃならない。
いま、その途上なんです。
それに気づいて自力で脱却していくのが、いわゆるACの回復、でもあるんだと思います。