kaichuさんの日記を読んではっと思った。

「アメリカ心理学協会ではINSANITY(狂気)を「別の結果を得ようと同じ行動を繰り返すこと」と定義している。」

あれ。
これって。
トラウマのリイナクトメントってこれじゃん。

私の父って、私を愛さなかったんですよね。

それだもんで、私は私を愛さない男をわざわざ選んで、愛させるように努力する、という行動を繰り返してたんですわ。

岩月謙司さんがいう「思い残し」の再現ね。
愛されなかったトラウマを、もいちどやって「愛される」という結果をえるために努力する。

そこに彼の言うDSS(家庭内ストックホルムシンドローム)も働いてた。

だもんで、自分を十全に愛してくれる人を振って、くそ男をつかんだ、と。

この辺までは、くらたまの「だめんずウォーカー」の連載がはじまるころの気づきだったんですが。

そっか。
これって、「狂気」なんだ。
インサニティなんだ。

そっかー。
深いなー。
言われてみりゃ、そうだよなー。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

自分がなんでこうなったのか。
つらつら思い起こせば、そこに自分の作為や営為があるわけでなく、なるべくしてなった。つまり必然的になった。

もっと病変に早く気づけば、別の道もあったろうが、「気づく」というのが遠かったこと自体も、また、所与の要件の中での必然だったんでしょう。

というあたりまでは、ここ数年の気づき。

40年かかって、自分の人生のシナリオを理解した、ということ。

人生のつづきのシナリオには、「回復」「克服」「幸福への拒否をやめること」が来るのでしょう。

それがどこまで行く道なのか。

わからんが、きっと、あれこれ努力するようでも、いけたところが、鳥の目から見れば必然。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私にとって「人生は必然」とはこういうこと。
よろこばしいことでも、悲しむべきことでもない。
淡々とそうであること。

江原なにがしにかぶれたおばさん方の言う
「人生は無駄なものはない」だの、「ぜんぶ必然」だのいうのは、私の人生におけるかぎりこれ。

それを、意気揚々と、またはうれしがっていってるおばさんをみると、ほんとに、やるせないというかあほらしいというか勝手にやっててくれというか、私に話しかけるな、といいたいんだが。
まあこれは、愚痴でしたな。

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