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ちょっと前になりますが。。。
わらをもつかむ思いで、いろいろ試してました。
その一つが、重い電磁波過敏の方が治ったというさる、気功院。
1回目。
CSの症状がきれいに消えてびっくり。
たばこの煙や接着剤の煙をかがされて、なんともない自分にほんとにびっくりでした。
家に帰ってきてからも、原チャリの排ガス(くさいの)をかぎながら、「ああ、5,6年前は、こんな風に感じていたなあ」ていどのにおい。
これもびっくりでした。
思えば、過敏症的な症状は、ここ5,6年の間に、徐々に進行していたのかも知れませんね。
ところが、電磁波過敏が原因と思われる耳鳴り頭痛については、気功院の建物を出たとたんに復活。
2回目。
電磁波に焦点をあてて治療してもらいましたが、なにをやっても、耳鳴り・頭痛・耳閉感は消えず。
先生もさじを投げた感じでした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
で、それ以来、いってません。
理由は、なんとなく、先生が好きになれないから。
気功師の先生は
「化学物質過敏とか電磁波過敏なんてのはね、思いこみなんだよ。その思いこみをはずしてるだけ」
とおっしゃいます。
CS症状を消した後、彼は「これからは捨てたシャンプーでもなんでも取り出して使いなさい」と私に命じました。
で、一日くらいは素直に従って、元使ってたシャンプー(パックスナチュロン)を使ったのですが、じつに不快な臭いで、とても不愉快。
体がおかしくなる、というのはなかったけれど、きわめて不快であることに変わりはない。
排ガスも吸え、たばこも吸え、というけど、そんなことしたくない。
結局、
「したくないことをしろと言われる」
「過敏症は(アレルギーと同じで)体が有害物質を過剰学習してる面はあるが、それをすべて思いこみ扱いされるのは納得がいかない」
という理由で、行くのはやめにしました。
ちなみに、過敏症は、徐々に症状が戻ってきました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さらにひとつ、自分的には絶対に相容れないと思ったのが、
「寺や神社に行くな」
「病気見舞いに行くな」
「お墓参りをするな」
と指示された点。
気が悪いところだから、だそうな。
だけど、寺社巡りはともかく、先祖の墓に詣でるなと言われて、納得できる日本人じゃありませんでした。
私は。
こういう健康状態になってから逆に、自分を守ってくれる、愛してくれる、目に見えない存在があるなあと、つくづく思うようになった最近です。
それが、育ち方によって、ある人には神に思え、また仏に思え、ある人には、先祖の愛に思えるのでしょうが、私は特に、ご先祖が誰か、自分を見守って気遣ってくれてる、という気がしてならなくなってきた昨今です。
そういう時に、先祖の墓は汚れているから参るな、といわれても。
死と生を徹底的に切り離し、死穢をとことん避ける、というのが、気功の教えなのでしょうか。
そんなのばかりでもないと思うのですが。。。。
私は、死と生は、地続きだと思ってます。
死んだ人に敬意を払ったり、追慕したりできることは、生きてる者にとっての幸せだと思います。
友人が病気なら、自分に悪い気がふりかかるなんて考えず、お見舞いにかけつけるほうが、かけつけた側の幸せだと思います。
友達が病気でも病院に見舞いに行くな、では。。。。
だから、その後でかけていった断食施設で、主催者のお医者さんが、先祖様に敬意を払うといいですよ、親はいちばん近い先祖ですから孝行しときましょう、という話を笑いながらされたときは、ずっと素直にきけましたし、お医者様に好感を持ちました。
うーん、だからなに、という話ではないのですが、
失敗談の一つとして、アップしました。
わらをもつかむ思いで、いろいろ試してました。
その一つが、重い電磁波過敏の方が治ったというさる、気功院。
1回目。
CSの症状がきれいに消えてびっくり。
たばこの煙や接着剤の煙をかがされて、なんともない自分にほんとにびっくりでした。
家に帰ってきてからも、原チャリの排ガス(くさいの)をかぎながら、「ああ、5,6年前は、こんな風に感じていたなあ」ていどのにおい。
これもびっくりでした。
思えば、過敏症的な症状は、ここ5,6年の間に、徐々に進行していたのかも知れませんね。
ところが、電磁波過敏が原因と思われる耳鳴り頭痛については、気功院の建物を出たとたんに復活。
2回目。
電磁波に焦点をあてて治療してもらいましたが、なにをやっても、耳鳴り・頭痛・耳閉感は消えず。
先生もさじを投げた感じでした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
で、それ以来、いってません。
理由は、なんとなく、先生が好きになれないから。
気功師の先生は
「化学物質過敏とか電磁波過敏なんてのはね、思いこみなんだよ。その思いこみをはずしてるだけ」
とおっしゃいます。
CS症状を消した後、彼は「これからは捨てたシャンプーでもなんでも取り出して使いなさい」と私に命じました。
で、一日くらいは素直に従って、元使ってたシャンプー(パックスナチュロン)を使ったのですが、じつに不快な臭いで、とても不愉快。
体がおかしくなる、というのはなかったけれど、きわめて不快であることに変わりはない。
排ガスも吸え、たばこも吸え、というけど、そんなことしたくない。
結局、
「したくないことをしろと言われる」
「過敏症は(アレルギーと同じで)体が有害物質を過剰学習してる面はあるが、それをすべて思いこみ扱いされるのは納得がいかない」
という理由で、行くのはやめにしました。
ちなみに、過敏症は、徐々に症状が戻ってきました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
さらにひとつ、自分的には絶対に相容れないと思ったのが、
「寺や神社に行くな」
「病気見舞いに行くな」
「お墓参りをするな」
と指示された点。
気が悪いところだから、だそうな。
だけど、寺社巡りはともかく、先祖の墓に詣でるなと言われて、納得できる日本人じゃありませんでした。
私は。
こういう健康状態になってから逆に、自分を守ってくれる、愛してくれる、目に見えない存在があるなあと、つくづく思うようになった最近です。
それが、育ち方によって、ある人には神に思え、また仏に思え、ある人には、先祖の愛に思えるのでしょうが、私は特に、ご先祖が誰か、自分を見守って気遣ってくれてる、という気がしてならなくなってきた昨今です。
そういう時に、先祖の墓は汚れているから参るな、といわれても。
死と生を徹底的に切り離し、死穢をとことん避ける、というのが、気功の教えなのでしょうか。
そんなのばかりでもないと思うのですが。。。。
私は、死と生は、地続きだと思ってます。
死んだ人に敬意を払ったり、追慕したりできることは、生きてる者にとっての幸せだと思います。
友人が病気なら、自分に悪い気がふりかかるなんて考えず、お見舞いにかけつけるほうが、かけつけた側の幸せだと思います。
友達が病気でも病院に見舞いに行くな、では。。。。
だから、その後でかけていった断食施設で、主催者のお医者さんが、先祖様に敬意を払うといいですよ、親はいちばん近い先祖ですから孝行しときましょう、という話を笑いながらされたときは、ずっと素直にきけましたし、お医者様に好感を持ちました。
うーん、だからなに、という話ではないのですが、
失敗談の一つとして、アップしました。
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コメント
私は叔母が生長○家の教えを信じて癌を克服したので、気力での回復というのは全くのでたらめだとは思っていません。ただ、せめて、納得できるようなお話をでっちあげてくれないと、信じることができませんよね。
私は、でっちあげの信条だって、それを信じることで病気が治れば、儲けものだと思います。早くいい治療法が見つかればいいですね。
よいお年を!
気功も、それで治る人には、いいんだと思います。
それにしても、この先生は、エゴイストのオーラばりばりでした。そこが気持ち悪かったのが、私が続けて通わなかった原因かな。