奈良県明日香村教委は21日、鎌足の生誕地とされる竹田遺跡で、飛鳥時代の大規模な掘っ立て柱建物跡群が見つかった、と発表した。

天武天皇と鎌足の娘の間に生まれた新田部皇子(にいたべのみこ)(?〜735)の邸宅の可能性もあるという。
同遺跡周辺は見晴らしが良く、中臣氏の拠点に近いことから、村教委は「飛鳥時代の高級住宅地」だったとみている。

 竹田遺跡は、飛鳥寺の跡の北東約500メートルにある。

同遺跡の南の小原(おおはら)地区は古代は大原と呼ばれ、鎌足の伝記「藤氏家伝」や鎌足の娘が夫の天武天皇と交わした万葉歌から、中臣氏と関係の深い地とされる。

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なつかすいす。

はじめにあのあたりを歩いたのは、高校生の時?
つぎが高校卒業後、大学を落ちて駿台の試験をうけ、たしかその足で向かった明日香。

駿台の発表&クラス分けは親に見に行ってもらったんだけど、

父親
「あの馬鹿、『スンダイの試験は定期テスト程度だった』とか言ってたくせに、クラスはEクラスじゃないか。ふがいない」

と言ったそうな。
馬鹿め、A〜Dは理系クラスなのだ。文系はEからはじまるのだ。
なんて思い出がぽろり。

それから年に1〜4度は大和へいく生活が30前くらいまで続いたっけか。

大学卒業まえかな、あとかな、彼氏に振られて吉野まで車でうろうろしたっけ。

就職してからも、ひとりや、五月祭のメンツとまた出かけて。

結婚前くらいまではたくさんたくさん行ってました。
大原も八釣も歩きましたよ。
今はただのアスファルトの道路だけど。

もう行き尽くしたと言うほど歩き、それから京都に興味が移り、つぎは京都に年に1〜4回でかけてたっけ。

なので、海外はまるで興味なかったんですよね。
従って、でかけもしなかった。

明日香の裏山の、田園と民家の景色や、京の小路のたたずまいが私には好ましかったので。

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今の夫にせっつかれて最初に自分ででかけたのがインドシナ半島の旅でしたが。
(あの男は海外旅行コンプレックスがあって、行ってないヤツ=ダメのようなへんてこな強迫観念があった)

スコタイのちいさな博物館でみた仏像は、どこか明日香の仏像に似てましたし、点在する寺院跡の瓦礫群は、どこか明日香をほうふつとさせたんですよ。

スコタイは行ってよかった。

その前に夫とでかけた韓国のプヨ・キョンジュは、とくにキョンジュが明日香そのものでしたね。

キョンジュの博物館では、広隆寺の弥勒菩薩像に会いました。
ほんとよ。
その小さいバージョン。

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しださん、ブックマークさせていただきました。
日記の内容は全然違うのですが、ブックマークして読みたい、と思ったので。。。

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