なはは

2006年7月31日
にょほほ

わしは夫に愛想つかしたが、そうなる前に私が夫にダメだしをしなかった、夫に思い上がりのきっかけを与え続けた、ってフォールトがある。それはわかってる。

で、なぜしなかったかの原因もわかってる。
愛してほしかったから、暖かい関係を壊したくなかったから、譲歩し続けた。
それがうまくいかないのがわかった。
つけあがらせるだけだった。
ということ。

どうも、前提が共通ではなかったのね。

こちらは共同生活をするつもりで、むこうはひとりで住んでいた。
というか、真の意味でインタラクションというのが、彼の中にない。
というのがわかった。

彼にあるのは、自己の欲求をかなえてくれる便利な機械のエキバレント(である人間)か、自己が従わねばならない命令の束(である人間)。

だからこちらの要求が、「くびき」に思えたんだと。
嗚呼。
むなしい人生だわー。

ま、そういう人間を選んだところが、私の不徳のいたすところ、なんでしょう。

−−−−−−−−−−−

昔、彼が変に経験主義者であることに違和感を抱いていたけど、ことここにいたるとそれが必然だったのがわかるわ。

具の入ってない鍋がうまかったから作れ。

(それはたっぷり具が入った後で、だしが出てたから)

ヨーロッパが楽しかったから、ハネムーンは問答無用でそこにする。南の島却下。

(こっちの体力なくて、ヨーロッパなんかいってもホテルで寝てるだけになるのは必定なのに)

ボストンのアパートがよかったから、外装が同じ色のマンション買う。

(色は建てあがってから確かめないとわからんよ。実際違ったし。というか、色だけ一緒でも日本のマンションはまったく別物)

彼は他者からのインプットをしないんだもの。
他者が彼には存在しないから。

自己の経験からしか、インプットされない。
だから、「○○が楽しかった」という経験があれば、
状況がどうちがおうがそれを考慮せず、またやる。

その辺で気づけよ、わし。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
こっからは独り言。

大人になった以上は、そこから先の人生は自己責任なのよ。
自己の責任において生きるこの人生が、それまでの経験によってかなりネガティブな遺産ひきずってる、というのがAC。

だから、この遺産に影響され続ける人生を終えて、もっと健康な、あるいはまっとうな人間になりたい。と。
もっと幸福な人間になりたい。と。

そう思ったときに使うのがたとえばACの理論だったり、
人によっては他の回復方法の知恵の体系なんでしょう。

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