今週は鬱だったのう

2006年5月28日
ゼミがおわって気が抜けたんでしょう。

去年ほんとうにストレス過大なまま5月をすぎたけど、
その、いやなことがあった日付になっても
アニバーサリー症状がでなかったのは、
ゼミでいっぱいいっぱいになっていたおかげ。

その分、悲しむべきを悲しんでいるんだろうと、
夜中やくたいもないおもいがずらずらと出るにまかせてました。

しかし。
ふりかえるな、ふりかえるな、過去には夢がない
寺山だったか。

しかしうんと過去は甘美です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「吉野弘」を思い出してからいろいろ出てきてました。
その男(Oとします)が、わしが荷風の「つゆのあとさき」
を持って部室(としておこう)に入ったとき、
さだまさしの「つゆの〜あとさき〜の〜」と歌い出したこと。

わしが「風とともに去りぬ」を持って入ったとき、Oが
「スカーレット!」といって両手をわしにひろげるもんだから、
「レット!」と私もいって両手でうけたこと。
「一幅の絵ですな」と別の先輩がはやしてたこと。
ぶすとぶさいくなんだがね。

わしが後に通算に入る先輩とつきあっていたころ、
Oに惚れて告白し断られ、その1年後にOから
夜通しのドライブに誘われ、
明け方までやくたいもない話をつづけたあと。

Oがいうに
「去年あなたの申し出を断った理由を言っていなかった」
といいさらに
「あのとき僕は長井代助になりたくなかった」
(彼にとっても大先輩である人がわしの当時の彼氏だったからね)

「でももう疲れた。寂しい。」
「ぼくのほうにきませんか」
といったこと。

しばらくOと関係があった後、なにがつらくて、と
今では思うが当時はなにやらいろいろ思い詰めて、結局
雨の日にわしから別れを切り出したこと。

別れを言ったときの、Oが車から降りて寮(西片にあった右翼団体みたいな名前の寮)に帰っていくときの背中も覚えている。

「やせっぽちのジョニー」という歌が頭にうかんだっけ。
やせてるんだ彼は。

別れる前後のことはあまり記憶にないのだけれど、それまでの
Oとの記憶はじつに甘美で、それに助けられてしばらく生きてきた観がありますな。

それが9年前、ぜんぶruinになった。
で、ruin になったとき、わしは壊れたものからは手を引く
べきだったんだな。

それができなかったのは弱い心のゆえだが。
あのときから間違えていたんだろう。
そのゆえにこの disaster に至ったわけだ。

とまで考えたのだが。

考えてみればOにしても、
あの雨の日に肩を丸めて降りていくときは、
わし以上に痛めつけられていたのかもしれない。
というかそうだろ、そりゃ。

Oはそれからずっと雨を呪う発言をしていたが。
わしは気づかなかった。

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