今日知ったちょっといい人生。

河合栄治郎
1891.2.13〜1944.2.15。東京出身。
 東大経済学部教授。社会思想史を研究。東大がマルクス派、自由主義派、民族主義派に分裂すると、マルクス主義派を批判。しかし2・26事件批判する記事を帝大新聞に載せ、軍国化する時勢を批判したことから当局の弾圧を受けるようになる。38年10月著書4つが発禁処分になる。39年1月休職、直後に起訴された。以降法廷闘争を展開。40年10月には無罪判決を受けるが、検察控訴となり41年10月罰金300円の有罪。43年6月大審院で有罪が確定する。戦時中の44年死去。

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弁護士 海 野 普 吉 (うんの しんきち)

1885年(明治18年)静岡市曲金に生まれる。西豊田小学校、旧制静岡中学、旧制六高、東大卒。
  戦時中、治安維持法下、軍部の弾圧をも恐れず、河合栄治郎(東大教授)事件、津田左右吉(早稲田大教授)事件、尾崎行雄
 不敬事件、横浜事件その他、歴史に残る著名な事件を含む、数多くの思想事件の弁護を手がけ、いわゆる左翼とは一線を画しなが
 ら自由人権派の弁護士として活躍。
   戦後は、日弁連の会長も務め、自由人権協会を設立。戦後初の最高裁判事に推薦された時には辞退し、親友の片山哲元首相
 が組閣する際には、法務大臣への就任を懇請されても、弁護士登録を中断するのが苦痛だと言って断り、文字通り生涯を一弁護士
 として全うする。

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河合教授のほうはともかく。

海野さんという人は、親族に自由民権運動の闘士がいたりして、「反骨」「反逆」「反権力」まあなんといってもいいが、権威を外化して見ることを幼児期に学んだ人らしい。
まだこれまた幼いころに新し物好きの変なおじさんからキリストの人道主義も手に入れた。河合教授を弁護した時彼と深くつながり、「人は50を過ぎても、心の友を見つけることができるのだ」といってよろこんだそうな。

なんにせよ、わしの知らない大きな人生があちこちにある。
このふたりは現世で手に入れたタイトルも大きいが、今言ってるのはそっちじゃなくて。
「戦艦大和の最後」の吉田満の同期の少尉の話を聞いたときもそうだったけど、ほんとに、よき人生があちこちにある。

私はそれを知らず、素通りしていただけ。
世の中にはいっぱい。
宝石あり。

しかし、知ってる人は知ってるんだろうなあ。
その辺ははずかしい話。

コメント

nophoto
板倉
2006年8月20日6:26

他人のホームページから文章を引用した場合は、一言明記して頂きたいと思います。

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