今日強大のなんとかいう女のセンセ(うちのガッコに来てた)の話聞いててそう思いましたさ。

仲裁調停が社会的強弱関係の再強化になる、って話。
とくに家事調停。

妻は相対的に夫より弱い。
早く夫から離れたいもんで、訴訟であれば手にできるはずの慰謝料や財産分与、子供の親権などなどを、「あきらめる」。
権利を手放さないと離婚が手に入らない。
しかも裁判をうける権利は実質的に遠ざけられてる。
裁判できっちり白黒つけてほしければ、調停をがまんしたあとたっぷり時間がかかる。

これが強弱関係の再確認、再強化になってるって話。

そもそも離婚調停は、双方譲歩の上「もとのさやにおさめる」のを目的としてる。
しかし普通は当事者で譲歩が可能なのであれば、なにもお上の手を借りないのよこの日本。

とすると、調停がかならず前置されるというのは、「本来安定しているべき(お上がめざす秩序安定のために)婚姻という身分関係をゆるがせにして社会の動揺要因になるやからにたいするサンクション」として課されているのでは、とさえ思っちゃう。

しかも、仲裁でさえ忌避可能なのに、調停員は忌避できない。
「誰に調停してもらうか」は実はクリティカルな問題のはずなのに、選択権なし。

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休憩中おっさんが学生に声かけて回ってたんで、「節句働きですよ」
と答えておきました。

講演の後、「みなさんはこのあとの懇親会、いくんですか」
と、みなさんならぬわしに聞いてくれたおっさん。

ちょっとおかげで機嫌がいい。

で、実習のほうの準備書面はまだ未完成。
ぷぷー。

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