皇室典範改正案、今国会提出は慎重判断…首相軌道修正
2006年2月8日 時事ニュース 政府は8日、皇室典範改正問題について、慎重に検討する方針を固めた。
秋篠宮妃紀子さまのご懐妊により皇室をめぐる環境が変わったことを踏まえ、世論や与党内の議論を見極める必要があると判断した。
首相は今国会に改正案を提出、成立を目指す考えを示していたが、自民党内などで「紀子さまに男子が誕生する可能性がある以上、提出を見送るべきだ」との慎重論が強まったのを受け、軌道修正したと見られる。
[読売新聞社:2006年02月08日 17時06分]
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ずいぶん早かったですな、変わり身。
で。
彼女の産む子は男の子の予感が非常にするわー。
彼彼女にはいま幸運の女神がついてるような。
そうなると、皇統はあちらへ。
すでに報道は秋篠宮家シフトになってたし。
いやー。
面白いと言っては失礼だが、歴史の時間だの国文学の時間だのにやった世界が21世紀に現出するとは。
兄弟というのはライバルなのですね。
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私ごときがいうのは僭越だが、雅子さんかわいそうだなあ。
香山リカだっけ?が「『雅子様』はあなたとともに泣いている」って本ありましたね。
均等法第一世代の矛盾、苦しみを、我々と同世代の皇太子妃は経験してきて、いま更に強い家父長制と男尊女卑の牙城の中で「泣いている」って。
彼女の苦悩のマクロ要因は間違いなくそれ。
でも、彼女自身のミクロというか、個人要因も、強いのだろうなという気はする。
彼女は、「ロージー・グラス」を掛けずに生きてきた人なんでしょう。
というか、自分に都合良く生きずに、たぶん父の、ひいては周囲の期待に合わせた努力をくり返して成長してきた。
適応障害がかほど長引くのは、彼女が我が儘に振る舞えない性格の証だわ。
ハーヴァード、東大、外務省、オックスフォード。
これは男の子の経歴ですよ、我々の世代では。
つまり彼女は小和田恒さんだっけ?父が己の後継としてつくった「オスカル」なんでしょう。
入内も父の意向が強かったと聞くし。(当時は友人同志で「道長だ〜」って言ってたっけ)
彼女の人生の多くが、父=周囲の意向にせいいっぱい応える人生だったんだろうなと、拝察するのであります。
しかしいくら父の意向とはいえ、オスカルで30年やってきた人に、急に彰子はできまいよ。
そこで皇太子は彼女に、「外交官として外交するのと、皇室の一員として外交するのと、立場は違えど、国のためである点で代わりはないのではないですか」がプロポーズに添えられた説得の言だったそうな。
彼女自身は、そんないろんな使命を価値あるものとして選んで行ったのに。
もしもどこかで、「自民党をぶっ壊す」といった誰かさんのようなしたたかなワルさがあれば、「ナルちゃん憲法」なみの我が儘、いやそれ以上のわがままを通して、ラクーな地位にいれたかも知れない。
んで、世継ぎ作りは義妹にまかせた!てなもんで、昭憲皇太后(だっけ?)じゃないが、産まないが皇后、みたいなたちばで威張っていられたかも。
いずれにせよ、彼女自身に成長の過程で刷り込まれた不幸の種が、そのチャレンジ(入内)によって花開いたのが、今の苦難の時期、なのでしょう。
もしもキャリアの中にあれば、ここまでの矛盾をかかえこむことなく、末は局長、次官に進んでた?なんてこともあったかもしれない。
たぶんに思い入れたっぷりで勝手な「拝察」をしてますが。
この時期をどうやって抜け出るか。
私は私なりにはるか低レベルながら苦難の時期にありまして。
手本ないし、参考に、ずっと見させていただこうと思ってるわけです。
秋篠宮妃紀子さまのご懐妊により皇室をめぐる環境が変わったことを踏まえ、世論や与党内の議論を見極める必要があると判断した。
首相は今国会に改正案を提出、成立を目指す考えを示していたが、自民党内などで「紀子さまに男子が誕生する可能性がある以上、提出を見送るべきだ」との慎重論が強まったのを受け、軌道修正したと見られる。
[読売新聞社:2006年02月08日 17時06分]
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ずいぶん早かったですな、変わり身。
で。
彼女の産む子は男の子の予感が非常にするわー。
彼彼女にはいま幸運の女神がついてるような。
そうなると、皇統はあちらへ。
すでに報道は秋篠宮家シフトになってたし。
いやー。
面白いと言っては失礼だが、歴史の時間だの国文学の時間だのにやった世界が21世紀に現出するとは。
兄弟というのはライバルなのですね。
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私ごときがいうのは僭越だが、雅子さんかわいそうだなあ。
香山リカだっけ?が「『雅子様』はあなたとともに泣いている」って本ありましたね。
均等法第一世代の矛盾、苦しみを、我々と同世代の皇太子妃は経験してきて、いま更に強い家父長制と男尊女卑の牙城の中で「泣いている」って。
彼女の苦悩のマクロ要因は間違いなくそれ。
でも、彼女自身のミクロというか、個人要因も、強いのだろうなという気はする。
彼女は、「ロージー・グラス」を掛けずに生きてきた人なんでしょう。
というか、自分に都合良く生きずに、たぶん父の、ひいては周囲の期待に合わせた努力をくり返して成長してきた。
適応障害がかほど長引くのは、彼女が我が儘に振る舞えない性格の証だわ。
ハーヴァード、東大、外務省、オックスフォード。
これは男の子の経歴ですよ、我々の世代では。
つまり彼女は小和田恒さんだっけ?父が己の後継としてつくった「オスカル」なんでしょう。
入内も父の意向が強かったと聞くし。(当時は友人同志で「道長だ〜」って言ってたっけ)
彼女の人生の多くが、父=周囲の意向にせいいっぱい応える人生だったんだろうなと、拝察するのであります。
しかしいくら父の意向とはいえ、オスカルで30年やってきた人に、急に彰子はできまいよ。
そこで皇太子は彼女に、「外交官として外交するのと、皇室の一員として外交するのと、立場は違えど、国のためである点で代わりはないのではないですか」がプロポーズに添えられた説得の言だったそうな。
彼女自身は、そんないろんな使命を価値あるものとして選んで行ったのに。
もしもどこかで、「自民党をぶっ壊す」といった誰かさんのようなしたたかなワルさがあれば、「ナルちゃん憲法」なみの我が儘、いやそれ以上のわがままを通して、ラクーな地位にいれたかも知れない。
んで、世継ぎ作りは義妹にまかせた!てなもんで、昭憲皇太后(だっけ?)じゃないが、産まないが皇后、みたいなたちばで威張っていられたかも。
いずれにせよ、彼女自身に成長の過程で刷り込まれた不幸の種が、そのチャレンジ(入内)によって花開いたのが、今の苦難の時期、なのでしょう。
もしもキャリアの中にあれば、ここまでの矛盾をかかえこむことなく、末は局長、次官に進んでた?なんてこともあったかもしれない。
たぶんに思い入れたっぷりで勝手な「拝察」をしてますが。
この時期をどうやって抜け出るか。
私は私なりにはるか低レベルながら苦難の時期にありまして。
手本ないし、参考に、ずっと見させていただこうと思ってるわけです。
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