absent in spring

2005年10月30日
クリスチャンのクラスメート(いつもいってる、
できた人)に頼んで、礼拝に参加してみた。

人生の困難に、どう対処するか、というトピックで、
まさに行くべきときに行って、聞くべき話をきかせてもらった気分。

彼女には感謝感謝だなあ。それと、天の配剤にも。
彼女が誘ってくれた、というのが、私が求めた助けへのタイムリーな救いの手だった。

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最近、「春にして君を離れ」を思い出してる。
アガサ・クリスティの、推理じゃない小説。

犯罪者となった夫に従って、貧困の中で癌を病んで死んでいった女性を偲んで、彼女を長年思っていたご近所の弁護士の男が自分の妻に言うの。
「彼女は勇敢だった」って。
妻は勇敢の意味もわからず、彼の心に秘めた、彼女への尊敬と驚嘆と、愛も、かけらも知ることができない。

彼女のことを思って執務室の壁にかけたコペルニクスの絵を、妻は
「なんでこんなもの飾ってるの?」と聞く。
「大事なものなんだ」と夫。
「そう、値打ちものなのね」と妻。
じつは夫は、女性とコペルニクスについて少しだけ、言葉を交わしたことがあったのね。
クライアントとしての彼女と、彼の執務室でのわずかな会話。
彼女が座ったいすの向こうに、彼女が語ったコペルニクスの絵を飾って、彼女を偲んでいる夫と、それを「値打ちもの」(つまり市場価値のあるもの)と納得する妻。
これだけ見ると、妻をだいぶん馬鹿にした話なんだが。

この夫婦は、魂の重なり合うことが全くない夫婦、というか、夫は霊性についても考え、人の痛みを痛む人なんだけど、妻は自分では全く気づいてないマテリアリスト&エゴイストで、世間体の無意識なる奴隷。自分を根っからの善人で、よきクリスチャンと思いながら、子供に見放され、夫に忍従を強いている妻。
夫は妻を「愛する」というミッションを選んで、果敢にそれを勤め上げる。
癌で死んだ女性は、不道徳な罪を犯したアル中の夫に従い、家庭を守るというミッションを選び、おなじく果敢に勤めて、死んだ。

弁護士である男と、犯罪者の妻である女は、「同志」だと互いを思うのね。先に死んだ女を、男は「勇敢だった」と思う。
それぞれの困難に、今日聞いてきた牧師さんのお説教のとおりに立ち向かい、対処した。

彼彼女がそれぞれ選んだミッションは、捨て去ることができるものだったのかしら。

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