自由をはき違えるな

2005年3月25日
という戒めが、昭和20年代からしばらく、つまり国民が
「自由」というものをお上からありがたくいただけてから
しばらく、巷間に言われてたそうな。
最近読んだ新聞のコラムでの話。

言うのは、中高年の、地位も働きもしっかりした男性。
諭されるのは若い者。
(中高年女には言わず。
当時その男らは、同年代の女に「も」自由が与えられた
とは考えられなかったんでしょう。
女に与えた言葉は、「お前は黙っとれ」)

だが言ってる御仁たちが、当時はまだまだ自由とは何か
理解できてなかったんでしょうね。
昔(明治)の文章で、自由にカッコ書きで「気儘(きまま)」
と注釈してあるのがあったっけ。

自由に行動を選択した結果、その行動の結果は選択した者が
負う、ということが、わかってなかった。

自由をよこせ、という主張は、「オレが責任を負う選択の、
その幅を拡げろ」なんすよね。

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で、ここから本題。

平等をはき違えるな。

わしが育ってきた40年間の中の大人達。
もう鬼籍に入った人、老境にある人、それと、
それらから世界観を植え付けられて、変更することなく
己が認識にしてる若い人。
そういう連中に、わしはこの言葉をかけたいですね。

「男と女は違わない」「だから平等よ」
と唱えるのは、旧世代のフェミニストたちだった。
上○千鶴子含め、こうだったわよ。

「平等平等と言うが、黒人をリアルに見てたら、
平等に扱う気はしなくなるぜ。あいつら全然ダメ」
米国で学んだ友人の言。

日本の幼児・児童教育も、差異を嫌って否認する教育らしいし。
子供いないので実態は知らんが。

平等を容認すると言うことは、オレとあっちがかくも激しく
違うのを踏まえて、それでも、同じに扱うことだよ。
同じになれと強制しないことだよ。

そういう教育は、未だされてないらしい。
わしの同年代でもわかってない。

戦後60年。
まだまだですな。

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